2011-09-04

ノルウェイテロとイングランド暴動にみる多文化社会の寛容さについて このエントリーを含むはてなブックマーク 

2011年08月31日のブログより
http://newsfromsw19.seesaa.net/article/224237861.html?1315126732

7月下旬に発生したノルウェイでのテロに関連して、森達也さんのオフィシャルウェブサイトに在日ノルウェー人女性の手記が掲載されていた。書いた人の19歳という若さを考慮するとこの明晰な寛大さは驚きであり、ノルウェイの社会にあまねく行き渡る他者(少数者)への寛容についての教育の賜物であろうと想像される。

彼女の思考経路は、わたしが日頃、イギリスに暮らしながら感じていること、考えていること、学んだことに共通する。おそらく、これが大戦後、異文化を受け入れ、それを多文化主義に昇華していくときのヨーロッパ・リベラルの解答のスタンダードなのだろう。

身近な例を挙げれば、8月2週めに発生したイングランド全土での暴動に際して、日本語のブログなどに散見される「暴動は多文化主義の失敗(移民政策の失敗)が原因」との決めつけにしばしば出くわして、わたしが考えたことにとても近い。

ほぼ全文を借用するが、ここに引用しなかった部分も含む全文は以下のページに掲載されている。
http://moriweb.web.fc2.com/mori_t/index.html

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巻頭コラム No.138

ノルウェーで生まれ育ち、たまたま今は大阪にいる19歳のS.M.さんに、ウートイヤ島で起きた今回の事件について、思うことを書いてもらった。僕は彼女に会ったことはないし、どんな内容になるのかはまったく想像がつかなかった。でも読み終えて、できるだけ多くの人に読んでほしいと思ったので、了解を得て以下に全文を引用します。

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ノルウェーには死刑がない。人間は苦しみを与えられてはならず、その命が他の目的に利用される存在であってはならないと考えるからです。今も死刑を行っている国は、(幼い子供たちも含めて)すべての国民に、「殺人で問題は解決する」というメッセージを与え続けていることになります。これは間違っています。犯罪者の命を奪っても犯罪は撲滅できません。残された憎しみと悲しみが増えるばかりです。ノルウェーに死刑がないことを、私はノルウェー人として誇りに思っています。

ノルウェーで死刑復活を望む人は多数派ではありません。もし誰か、たとえばウートイヤ島の若者たちを攻撃したテロリストが、私たちのこの価値観を脅かそうとしたら、そのときには私たちは、共に手をとることで応えることを望みます。憎しみで応えてはならないのです。

事件後にストルテンベルグ首相が、ノルウェー在住のイスラム系の人々と共にモスクで「多様性は花開く」と語ったとき、そしてこの民主主義の核心への攻撃がかえって民主主義を強くするのだと語ったとき(http://www.vg.no/#!id=42543, 2011年7月31日)、私は本当に誇らしく思いました。これこそがノルウェーだ、これは忘れてはならないこと、そして変えてはいけないこと、そう思ったのです。

首相の姿勢は、大多数、いえ、ほとんどのノルウェー人の思いの反映です。ノルウェー国民は今、なによりも共に手をとり、互いの肩にすがって泣き、こんな攻撃に連帯を弱めさせまいとしているのです。被害者の母親の一人は、事件後にインタビューで、「一人の人間がこれだけ憎しみを見せることができたのです。一人の人間がそれほど愛を見せることもできるはずです」と語っています。私の友人たちも知り合いも、みな同じ態度で臨むと言っています。
この事件によって、ノルウェー社会を変えてはいけないのです。犯人が望んだのは、まさに私たちの社会を変えることなのだから。彼の望みを叶えさせてはいけない。これが重要なのです。だから死刑復活などあってはならない。これはノルウェー人の一般的な見解です。

(略)

犯人の政治的姿勢についですが、彼はノルウェーの政策の中でも、特に移民政策に反対する極右思想の持ち主です。ノルウェーの移民政策は非常にリベラルで、毎年数千もの市民権申し込みが承認されています ( http://www.udi.no/sentrale-tema/Statsborgerskap/)。そのために私たちの社会は、複数文化社会となっています。私も、また他のほとんどのノルウェー人も、これをよいことと思っています。社会の多様性は、他者や異文化に対しての寛容さを作り出します。イスラム教はノルウェーではキリスト教に次ぐ大きな宗教で、信者は7万9000人といわれます。

今日のノルウェーで、レイシズムはほとんど問題になっていません。私自身、もう何年も、レイシズムによる暴力行為や偏見差別について誰かが口にするのを、聞いたことがないくらいです。私の通っていた学校でも、多くの民族の子供たちがいながら、まったく問題はありませんでした。この点も私がノルウェーを誇りに思うところです。だからこそ、今の政策を変えるべきではないと思うのです。

民族的にノルウェー人ではないノルウェー国民も、同じノルウェー人とみなされています。私が子供の頃は、それに対して特に何も考えてはいませんでした。ノルウェーに住んでいる人はみなノルウェー人だと、当たり前のように思っていたのです。今になって、ノルウェーはやや特異な立場にあるのだとわかってきました。特に日本はこの点において、ノルウェーよりはるかに遅れています。市民権を得ることはとても難しいし、取れたとしても、同じ日本人としてはなかなか扱ってもらえません。

ノルウェーでは移民たちの習慣や日常を、できるかぎり尊重します。たとえばイスラム系の生徒が望めば、学校給食にハラルを使うことが普通です。ベーリング・ブライヴィークのように、こうした政策に反対する人も、(きわめて少数派ですが)存在します。こんなことを許し続ければ、しまいにはノルウェーの社会や文化が変わってしまうと彼らは主張します。でもこれは完全に間違っています。出自が異なる文化の人たちに、多数派である私たちが合わせる努力をすべきなのです。ノルウェー国民は決して器用ではありません。だからこそ私たちは努力しなくてはならないし、この制度を大切にしていかなくてはなりません。そして移民としてやってきた人々も、私たちの社会に溶け込めるように努力しています。これは相互の責任です。

実はノルウェーでも過去には、少数民族を同化させようとしたこともありました。ノルウェー北部に住むサーメという先住民族です。サーメ語を話すのを禁じ、サーメ宗教の儀式を禁じる規則ができました。学校ではこの規則に違反すると、サーメ人の子供は罰されたのです。サーメの子供たちは、民族的ノルウェー人の子供からも大人からも苛められました。もちろん私たちは今、絶対にこんなことを繰り返すべきではないと思っています。
1800年代、そして1900年代にアメリカに移民したノルウェー人とその子孫は、今に至るまでアメリカでノルウェー文化やノルウェー語の一部を守っています。ルーツを忘れたくないというのは、人間の自然な気持ちなのです。

ノルウェーはとても小さな国です。今回のテロ事件の衝撃や影響はが、とても大きいことは確かです。 でもノルウェーは変わりません。こんなときこそ支えあい、テロに対抗するために連帯を強め、民主主義を確固なものにしていかなくてはなりません。システムは効果的に動いていて、ほとんどの人々がその恩恵を受けています。これを変えるなど、あってはならないことなのです。

2011. 08.04. 大阪にて ノルウェーの19歳、S.M.

2011.8.10 森達也

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このノルウェイのテロ事件に関して、わたしはブログに第一報を書いたきりで何も考察していなかったので、この手記はその意味と影響について考える良い機会になった。

2011年07月23日のブログ
今日のNEWS‥ノルウェイの銃乱射+自動車爆弾続報とエイミー・ワインハウスの死http://newsfromsw19.seesaa.net/article/216378318.html

事件の直後にBBC24のニュースで聞いたノルウェイ首相のスピーチには深い感銘を受け、2005年のロンドン地下鉄バス爆破テロの発生直後に当時のロンドン市長ケン・リビングストンが行ったスピーチを思い出した。ケンのあとから行われたブレア首相のスピーチのほうが国際的には有名だろうが、内容の高潔さと言葉の力についてはケンのスピーチに遠く及ばない。

ケンはそのスピーチで怒りの矛先を明晰に指し示すことで、市民が互いに疑惑や憎悪を持たないように導き、ロンドナー(ロンドンの住人)にロンドナーであることの誇りを取り戻させた。そのおかげでムスリムに対する大きなバックラッシュも発生せず(まったくなかったわけではないがムスリムへのシンパシーも多かった)、ロンドンは翌日からほぼ通常通りに戻ることができたとさえ言える。ノルウェイのストルテンベルク首相のスピーチもきっと同じような効果を持っただろうと想像する。

それに引き換え、イングランド暴動に際してのキャメロン首相の言葉の軽さ、子どもっぽさは目を覆うばかりだ。そんなものでも、海外には首相の言葉として、あたかもそれがイギリスの解答のように伝えられているのだろう。

しかし、この夏のイングランド暴動の際に人々の冷静さを呼び起こし、人種暴動に拡大するのを止めたのはキャメロンの言葉ではもちろんなく(かれの言葉はむしろ怒りを煽るものだった)、暴動の最中に息子を轢き殺された父親が、息子の死を看取った直後に報道陣に取り囲まれて発した言葉だった。

かれは(パキスタン系ムスリムだった)は、復讐を口にする同胞に対してはこれは人種暴動ではないと明確に定義し、だれも憎まないと言ったばかりでなく、暴動を行っている者たちに家に帰れと呼びかけた。かれの言葉はテレビのニュースで繰り返し報じられたあと、翌朝の新聞の一面に掲載された。右の新聞も左の新聞も高級紙もタブロイド紙も全部だ。これについてはまた日を改めて書くつもりだ。

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藤澤みどり

ゲストブロガー

藤澤みどり

“英国在住の文化ウォッチャー、芸術とお酒と政治好き。ブログ「ロンドンSW19から」http://newsfromsw19.seesaa.net/”


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