寡作の監督として知られるテレンス・マリックの作品、その上カンヌで最高賞を受賞した作品と聞けば見る前から否が応にも期待が高まる。だが私は今回はレビューを書くという立場上、そうした色眼鏡は取り払ってまっさらな気持ちで本作に接しようと心に決めていた。
物語は主人公の家族に訪れた不幸から始まる。その数分後、神はなぜ人間に試練を与えるのかといったテーマも絡めつつ、宇宙や人類の起源、地球の創造といったイメージの壮大な自然の映像が展開しだした時には、こんなに話の裾を広げすぎてしまって収拾がつくのだろうかという疑問が湧いてきた。そしてその疑問は最後まで解消されることはなかった。
監督はそれらのものを通して創造主のとしての神の偉大さ、あるいは連綿と続く人類の歴史といったものを表現したかったのかもしれない。だが、私にはスケール感のあるそういった映像より、主人公の子供時代の回想に登場する日常的な自然描写に見出される美、葉の上の露、舞う蝶、風にそよぐカーテンといったもののほうにむしろ神の恩寵のようなものが感じられた。それは神の存在と同様、すぐそこにあるはずなのに感じ取れる者にしか見出せないものであるからかもしれない。
地球や宇宙の太古の歴史といった場面を余計なものとして感じてしまったのは、逆に言えば主人公の子供時代の描写がそれだけ優れていたためともいえる。壮大な世界は引き合いに出さず、ひたすらミクロな視点で人間を描くことに徹したほうがよかったのではないかと思えるほどに、本作品には数十年前のアメリカの田舎町の一家族の日常が精緻に描かれていた。
キャスティングはこれ以上望むべくもないと思えるようなもので、主人公の父親を演じたブラッド・ピットは大スターの色を完全に消し去り、田舎町の夢破れた典型的家父長タイプの男を完璧なまでに体現しており、母性あふれる母親役のジェシカ・チャステインと複雑な内面をかかえる主人公を演じた子役ハンター・マクラケンなしにはこの映画は成立しなかったのではないかと思わせる説得力があった。特にマクラケンは高圧的な父親に反発を覚えながらも愛されたいという相反する感情を抱き、行き場のない苛立ちを抱えつつ愛情深い母親の存在ゆえに絶望に浸りきることも非行の道に入りこむこともできないという難しい役どころを見事に演じきっていた。
子供時代の主人公の内面描写は素晴らしく、父親への愛憎(時に殺意)、母親に対する強い愛着、弟への仄かな嫉妬や羨望といった決して他者と共有できず、言葉にすることのはばかられるような屈折した想いの数々が細かいエピソードや役者の表情を通して見事に映像化されていた。そういった点で、説明的な台詞の多い映像作品に辟易することも少なくない昨今において、本作は映像の力というものを再認識させてくれる作品であった。