全編を通じて流れる音楽は、いずれも耳に馴染んだなつかしいメロディ、なつかしい歌声。
目にする数々のエピソードも、そのほとんどは既知のものばかりであるような…。
今回の視聴体験は、これほどまでに、ジョン・レノンという男の存在が、ごく自然に、私の日常に入り込んでいたのかという、ある種の感慨にとらわれた2時間であった。
正直いって、<未公開映像>とか<未発表音源>というものが、どの場面であったのかは判然としない。たぶん、初めて目にする映像、初めて耳にする音というものがあったには違いないであろうが……でも、どれがその部分に相当するものであるかわからないくらい、すべてが<既知>のものとして追体験したような、この感じは、もしかして<デジャブ>とでもいうのか。
― エド・サリバンショーに初めて出演した、少しとんがったジョンも知っている。
― 新曲を発表するたびに、それがビッグニュースになる全盛期のジョンも知っている。
― オノ・ヨーコと結婚し、ベッドインで世間を騒然とさせたジョンも知っている。
― ラブ&ピースをキャッチフレーズに、反戦歌を唄ったジョンも知っている。
― アルコールとドラッグに溺れた失意の時代のジョンも知っている。
― やがて、心の傷を癒すかのように、ショーンとの暮らしに没頭した「主夫」としてのジョンも知っている。
私は、この映画で描かれた様々なジョンの姿を、全て同時代進行にて知っている。
もっとも、私はビートルズ・マニアではなく、ジョン&ヨーコの信奉者でもない。
70年代に青春を送った、平凡な戦後生まれの日本人の一人に過ぎない。
そんな私ですら、ジョン・レノンの一挙手一投足について、様々なメディアを通して、これだけ知っていることばかりであるという、その事実によって、改めて彼の非凡さを知った。
それゆえに、この映画を観て、初めてジョン・レノンという男の生涯に触れ、彼の行った数々の事跡を知ったという人が、どのように感じ取ったのかという点についていうと、とても想像することができない。
ひょっとしたら、現代人が高杉晋作や坂本龍馬について、ドキュメンタリーで見聞きしたのと同じような感覚で捉えているかもしれない。
だからこそ、敢えていう。
70年代を歴史的記憶としてしか追体験することができない世代の人々にこそ、この映画を観てほしい。
この映画を観て、「われらの時代」を肌で感じとって欲しいと思う。
そして、70年代を同時代的に生きた人々は、小難しい理屈抜きで、素直に楽しめばいい。
なつメロに浸る気分で、ゆったりとまどろみながら…
それでいいと思う。