昨日とても腹立たしいことがありました。
或る人物に、専門家として依頼された仕事を放棄された上、頼んでもいない道徳的説教までされたのです。
さすがに腹がたったので、間髪入れず、イヤミを込めた返答をしておきました。
しかし後からよく考えてみると、本来やるべきことは、こちらが相手に求めているのはあくまで専門家としての知識と経験に基づくアドヴァイスであって、自己満足に過ぎない「訓示」ではないのだという抗議のはずでした。
結局、頭に血が上って冷静な判断と行動が出来なかったということです。この点は反省しています。
今回は公共的にも理屈が通るはずなので、連休明けにこの人物を紹介した機関等に、まずは電話で、不適切な人物を紹介したことについて抗議し、また専門家として問題のある振舞を報告しようと考えています。
と言うのも、大きなコンテクストで考えれば、自分自身に対する不当な取り扱いに対して、泣き寝入りせずに抗議の声を上げることは、リベラルな民主主義社会では当然のことのはずだからです。
恥ずかしながら、僕自身元来気が弱いこともあって、権威主義的管理社会の雰囲気に気圧されて、未だにリベラルな民主主義社会に相応しいエートスを身に付けることが出来ていません。
日本社会を本当の意味でリベラルで民主的なものにするために必要なのは、小選挙区制の廃止をはじめとした選挙制度改革やベーシック・インカム制の導入、将来的な象徴天皇制の廃止といった制度改革だけではありません。なぜならばそのような制度改革も、国民にリベラルな民主主義のエートスが根付いていなければ、仏作って魂入れずだからです(ま、そもそもこのようなエートスが全く浸透していなければ、制度改革も行われないはずですが)。
そんなことを昨晩から考えていました。