耳の不自由な女性、響子と、テレビ局に務める男、俊平との恋愛を描いたこの作品。会話が可能なら何げなく交わすであろう言葉が、筆記を介することにより少しずつ省略され、そのために少しずつズレていき、少しずつ不安が増す。うまく伝える自信のなさゆえに、時にはごまかし、時には嘘をつき、その代償としてうしろめたさと心もとなさにさいなまれる。結果、瑣末なことを案じ、肝心なことをおざなりにして、右往左往。そんな俊平の繊細な感情描写が非常に巧み。合間に挿入される俊平の仕事がらみのエピソードも、響子との関係とどこかパラレルに展開し、俊平の心の揺れを見事に描き出す。全編を通して、俊平の独白という形をとっているため、彼自身の感情のすべてが彼の言葉で綴られるわけではないし、響子についても彼の目から見た憶測でしかなかったりするのだが、二人の心のありようが手に取るようにわかる。語らなければ伝わらないことと、語らずとも伝わることとの峻別が、作家のなかで明晰になされているからこそであろう。そんな作家自身の迷いのなさとは裏腹に、登場人物は語るべきことと語るべきではないこと、あえて語らないことの間で常に逡巡しているのだから、皮肉な話だ。 それにしても、響子を取り巻く音のない世界は限りなく美しい。というのは、俊平が一瞬たりとも響子を悪し様に語らないから。彼の中では響子は完全無碍なマドンナであり続けるのだ。実際の響子はどうかなんて、そんなことはどうでもいい。ただ、俊平にとって、自分とは対極的に静かな世界に住む響子とは、圧倒的で、近寄りがたく、ゆえに近寄りたいと切望する存在である。そんな存在を前にどこかあたふたしている俊平が、妙にチャーミングに見えてしまうのも、吉田修一ならではの妙技。きっと実生活ではモテるんだろうな。なんたって業界一ハンサムとか某誌で書かれていたし。ってまあ、知ったこっちゃないが。