2011-06-28

イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』クロスレビュー:ボクたちはミスター・ブレインウォッシュなのかもしれない。 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 バンクシーはもちろんのこと、ストリートアートに興味があるのなら、この映画は絶対に見るべき作品だ。

 けれど、もし君が、バンクシーなんて聞いたこともないし、ストリートアートなんていう落書きみたいなものにはまるで興味がなかったとしても、この作品を見ることで後悔するなんてことはきっとないだろう。

 ゴーギャンの絵に「私たちはどこからきたのか、私たちは何者か、私たちはどこに行くのか」という有名な作品があるのは君も知ってることだろう。この『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』は言うなれば、ストリート版の「私たちはどこからきたのか、私たちは何者か、私たちはどこに行くのか」ともいえるようなな、爽快でいて奇妙な、実に考えさせられる作品なんだ。

 映画が始まると、そのリズミカルで巧みな編集に吸い込まれるように、一気に作品の世界に引き込まれ、ストリートアーティストになったかのような高揚感ある視線で、ティエリー・グエッタという決してカッコ良くはない男の奇妙な行いを追い続けていく。バンクシーが多く登場するようになってからは、バンクシーの視線と重ねるように、その奇妙だけれど愛らしい男を嘲笑まじりでボクらは追っていく。やがて、その奇妙だけれど愛らしい男は、ミスター・ブレインウォッシュとなり、嘲笑は爆笑へと変わっていく・・。

 ドキュメンタリー映画でこんなにわらわされるなんて、あぁ、やっぱり、バンクシーはすごいな、奇妙な爽快感がしばらく、そう数日は続くだろう。そうしているうちに、ふと、あるいびつな思いがボクの中に沸き起こってくる。

 このいびつな感触は、まるでフィリップ・K・ディックの小説を読んだときみたいだ。もしかして・・・、いや、そんなことは・・。でも・・・、うん。ミスター・ブレインウォッシュは、実はボクたちなのかもしれないなぁ。

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maonagaaki

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