2011-06-19

『未来を生きる君たちへ』クロスレビュー:人間の不可能性を活かしていこう! このエントリーを含むはてなブックマーク 

「殴られたんだ だから殴った。
それじゃなきゃバカにされるんだ!」
これはある子供が発した言葉だ。

目の前で大人を殴った後で
自分の子供に「どうして殴るんだ、ダメだろう」と叱りつける親。
一方殴られても殴り返さない事でその「意味のなさ」を見せようとする親。

イジメ、暴力、紛争…。
「殴られた だから殴った」なるほど自然な言い分だ。
しかしながら、この一見自然な言い分はある程度まで行くと
全然自然じゃなくなり、「誰もがなぜこうなったのか」と頭を抱える所まで突き進む。

私はこの映画はテーマとして偉大なものを抱えていると観る前から感じていた。
そして偉大なあまり、難しいと感じていた。

しかし観た後で私が思った事、それはこの偉大なテーマを身近にするものだった。

紛争は始まったらなかなか止められない。
殴られれば怒りが生まれるのも事実だ。
愛する者を殺されたら憎しみが生まれるのも事実だ。
奪われて代わりに憎しみが生まれる。それは全て事実だ。

誰にも変える事はできないし、忘れる事もできない。
だからこそ、失った時この「現実」を忘れない事の必要性。
この「性」を忘れない事。
それが憎しみを代償として得る前にやるべき事、なすべき事だと私は思う。
始まったら止まらない。相当のエネルギーなくしては止められない。
始まる前に1人でも多くの人が、いかにこの事実を忘れないか、
いかに見失わないか、すべてはここにかかっている。

人間も他の動物と同じ生き物だ。
人間だから道徳的だとか、理性的だとかいった自惚れは効かないと私は思う。
だけど、この映画を観る事で知る事はできたと思う。
そして伝える事もできると思う。
私達はある一定の共通言語を持しているのだから…。

人は1人では何もできない。
逆にこの特徴を利用し、「多く」から戦争が生まれる。
けれども、この不可能性を活かしていこう!

この映画では子供社会ではイジメが、大人社会では紛争が描かれる。
そして共通して暴力が描かれる。
最初はそれぞれだった別事項が、残念ながらこれらは通じてしまう。
子供は純粋で寂しさを行動や言葉で表現してくれる。
大人になるとある程度内にこもってバレない様に寂しがる。
けれども、大人でも子供でも喪失感を感じない人はいない。

「自分だけ特殊」だとは思わないで。
だって私たちは生まれた時から人に囲まれて育ったのだから。

その条件を通り抜けていない人がもしいるとしたら、その人は確かに特殊かもしれない。
分かってあげられるのは困難かもしれない。
でも「もののけ姫」だって、狼に育てられたのだ。
形は違えど、たった独りで今まで歩んでいる人はいないはず…

1人では何もできないのなら、その不可能性を最大限に活かせる幸福を産み出そう!
不可能性を利用し他人を不幸に陥れるのは、一時の快楽でしかない。
そんなの幸福ではない、残るのは汚らわしさだけだ。

私はイジメられているエリアスを見ていて思った。
「どうしてこんなに可愛い子をイジメられるの?」と…。
自分の子供でも知り合いでもないけれど、そう思うのだ。
この気持ちは何か人類のために生かすべきだ。
そう思わない?

だから私はここにこう書いたのです。
伝えたいから。
知って欲しいから。
防ぎたいから。

多くの人をイキイキと生かしたいから…


「未来を生きる君たちへ」は、8月13日より公開!

キーワード:

movie / denmark / susanne_bier / academy


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初穗

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