3.11以降…という言葉はやたら聞くようになったし、自分も使ってしまうけれど、やっぱり何かが確実に変わったと思う。もちろんそこで吉田アミさんのように「変わらない」ことを貫く姿勢から教わることも多い。いずれにしろ、変わらないことすら、特別なことのように聞こえてしまう事態(が幸か不幸かは問わないとしても)が確かに起きてしまい。今もなお進行しているのは確かだろう。
そうした思いがぐるぐる頭を巡る中、出不精の自分を友人の安永哲郎氏のイベントは連れ出してくれた。6月4日(土)、東京都現代美術館で開かれた『衝突と調和』だ。
このライブイベントは、安永氏の考える「Jポップ」へのアプローチだと聞いたのだが、果たしてそこでは上質の打楽器演奏で知られる'オムトン'、アニソンすら彷彿させるラップトップテクノ歌謡のような'芳川よしの feat. カリソ'、さらにここ最近その活動領域を拡張しまくる'ユタカワサキバンド改めucnvバンド'に'環ROY'によるラップまで加わり、名状し難い混沌の中で、緩やかな時間を呈示することに成功していた。もちろん、空間と時間を繋ぐ'OPQ vs Warm&Cool'ほかによるDJ(?)や田口造型音響らによるPAシステムも、ある意味主役だったことは忘れてはいけないだろう。
最近では、カオスモスという言葉も一般化したようだが、混沌の中になんらかの調和を見いだそうとする姿勢が、ここ最近目を惹くようになったように思うが、ポストサブカルの日本に感じられる、ある種の閉塞感に対し、表現者が状況に敏感に反応している一つの表れではないだろうか。
とりわけ'ユタカワサキバンド改めucnvバンド'の「あからさま」でありつつも「アノニマス」なさまは、矛盾を孕んだ(衝突する)存在/音から生まれるポップであり、まさに今という時代性から生成されるものに思えるのだ。
このイベントについて考えるなかで、3月20日に八丁堀の七針で開かれた河野円さんプロデュースによる新・方法、すずえり + 坂本宰の影 + 川口貴大 + 河野円によるライブも頭に浮かんでいた。
震災から一週間あまりの日程で開かれたこの比較的小さなライブも、会場は満員だった。この時、自分はいわゆる自粛ムードが蔓延する中で、どんなに救われた気がしたかしれない。もちろん、そうした聴取の姿勢が、アーティストにとっては不本意な部分を含むことはわかっている。が、そうしたこともこれからの前衛的な表現は背負ってもいいのではないかとすら思えたのだ。
安永さんにしろ河野さんにしろ、個人のできることを可能な領域で最低限の人間に届けていることが印象的だ。随分前に、美術批評の椹木野衣氏から「(美術や文化状況をいかに変えていけるかという問いに)特異な個のフル活動でしか変わらないと思っている。」と言われたことがあった。今でもこの言葉は自分の中で大切な活動の起点であり、表現活動を創る、或いは視る上での、ある軸となっている。
こうした「個のフル活動」が、現在の閉塞感をそこかしこから内破する力となるんではないかと期待する一方、では自分には何が出来るのかと、今まさに問われている気もしている。