連休までは涼しかったものの、先週から湿度も上がり、日中は初夏の陽気になってきました。
超夜型で蒸し暑いのが苦手な僕にとっては憂鬱な季節の幕開けです。
気持ちがカサカサに乾いてしまっていたとでも言ったらいいのかな、パソコンに向かって文章を書く気力が沸かず、ほぼ一ヶ月間が空いてしまいました。
映画『デザート・フラワー』の原作本や澤地久枝さんによる中村哲さんへのインタヴューなど、直接研究には関係ないものの、興味の沸いた本を何冊も読んでいたので、完全に無為に過ごしていた訳ではないんですが。お酒も控えているし。
ま、自然に力が沸いてくるまで、変に無理をせず、のんびり一種の「リハビリ」に費やそうかと思っています。とは言え、極端な夜型の生活サイクルだけは、直さないとなあ。
四月後半、行きつけの下高井戸シネマで一週間強、毎年恒例の優れたドキュメンタリー映画を観る会主催で、14本のドキュメンタリー映画が上映されました。僕は例年通り公開前夜祭に参加し、その後も期間中二度ほど観に行って来ました。
公開前夜祭の第一部は神田織音さんの講談。織音さんは、僕も一度聴いて感銘を受け、元になった原作本の翻訳まで買った『チェルノブイリの祈り』を講談化した、神田香織さんのお弟子さんだそう。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/orine/saito/jiang_tan_shi_shen_tian_zhi_yinnohomupeji.html
成年後見制度をテーマにした講談と、それと貧困問題を絡めた講談を聴かせてくれました。認知症になった老母の介護のために、ようやく就いた派遣社員の職を辞めざるを得なくなり、自尊心を傷つけられながらも意を決して行った生活保護の申請も、窓口で門前払いをクラい、完全に行き詰まった元友禅職人の独身男性が、無理心中を図るという二本目の講談は、ずっしりと胸に来るものがありました。
第二部は映画『ただいま それぞれの居場所』(企画・製作・監督:大宮浩一、2010年、日本)の上映と大宮監督のトーク。
介護保険では対応出来ない高齢者や障碍者各々に相応しい介護をしていこうと奮闘する、四つの介護施設を取材したドキュメンタリー。登場する施設は皆、かなりくたびれた中古の一軒家で、行政ないし大きな団体や企業による大きくて立派な施設と比べれば、設備は本当に貧相だし、スタッフの服装も揃いのユニフォームなんかではなく、かなりくたびれたカジュアルウェア。
時には暴れたり突っかかってきたりするもする利用者に、苦笑しつつも丁寧に向き合っていく二十代から三十代初頭の介護スタッフ。勿論スタッフAさんの言うことは聞かない利用者αさんも、スタッフBさんの言うことなら静かに耳を傾けるなど、スタッフと利用者の間にも「相性」があるので、そのあたりもうまく見極めていかないとスタッフも続かないという、或る施設の若い責任者の言葉が印象的。
上映後のトークで、震災後何日か取材するつもりで被災地に入ったが、言葉を絶する状況を眼前にして一日で帰って来たという大宮監督は、「元通りにするという意味の“復興”は不可能だと思う。〔以下はうろ覚えだが〕以前より慎ましやかな、身の丈に合った新しい形を目指すしかない」といった内容のコメントをしていた。確かに、不謹慎に聞こえるかもしれないが、今回の震災が、この映画で映された介護施設のように、外見はボロボロでも、一人一人を大切にする、人間味のある新しい日本社会を目指す転換点になればと僕も思う。
翌週金曜日の午前中には、『こつなぎ——山を巡る百年物語——』(監督:中村一夫、企画・製作:菊地文代、1960年〜2009年、日本)を観賞。
http://blog.livedoor.jp/kotsunagi/
この『こつなぎ』は、「小繋事件」(岩手県の山村で江戸時代から農民に認められてきた山の入会権をめぐり、明治の地租改正後山を私有地として購入した地主と農民の間で、1910年代から五十年もの間行われた民事・刑事訴訟)とその後を、長期に渡り丹念に取材したドキュメンタリー作品。
長い間、衣食住全てに渡りその土地で生きる人々の基本的なニーズを、人々の労働と引換に無償で満たして来た山が、資本主義社会への移行に伴い、住民の与り知らぬところで、外部の人間に所有されることで起こった、この小繋事件は、単なる歴史的記録に留まらない。と言うのもそれは、水から交通機関に至る様々なライフラインの民営化もとい正確には私営化の問題性を考えるきかっけになるはずだからだ。
実際に上映後に行われた、企画・製作の菊地文代さん(2002年に亡くなったカメラマンの菊地周さんのお連れ合い)のトークでは、中国の資本家が日本の水源地の山林を盛んに買い漁っているという現状が紹介され、警鐘が鳴らされていた。排外主義には十分注意しながらも、無償で保障されるべき清浄な水や空気を占有し儲けようという、私人や私企業の動向に注意し、必要とあらば声を上げていかなければならないのは、今も昔も変わらないことを再認させられた。
翌土曜の夜は、『小さな町の小さな映画館』(監督:森田惠子、2011年、日本)を観賞。
http://www.chiisanaeigakan.com/index.do;jsessionid=944F3186B553B50E78DC64A85D241DF6?cmd=display
北海道の人口一万五千人足らずの漁村・浦河町の家族経営の小さな映画館・大黒座の93年の歴史と現状、そして可能性を、館主や常連さん等、同館を取り巻く人々へのインタヴューを通じて、描き出していくドキュメンタリー。同じように厳しい状況の中で奮闘している、尾道のミニシアター・シネマ尾道も取材されていた。
過疎化が進む小さな町で、映画と映画館が好きだからと、時には観客ゼロで上映中止なんて目にも遭いながらも、自分の観たい映画をかけ続ける三代目館主の中高年男性と、同館の映画サークル(※)で知り合ったそのお連れ合い、不如意な生活を余儀なくされながらも、北海道産の飼料に拘って、一人で小規模の養鶏場を営む、大黒座の常連の中年男性、彼からパンの原材料に卵を購入している、人との触れ合いが欲しくて保健師からパン屋さんに転職したという、元映画サークルメンバーの中年女性等、大黒座を軸に、小さな町でも大都市と同レヴェルの、あるいは小さな町だからこそ可能な、一本筋の通った(適切な表現が思いつかないので、取り敢えずこういう表現をするが)「文化的生活」を送ろうと奮闘する人達が、互いに繋がり合っている様子を、淡々と描く佳作だった。
※1980年代から90年代にかけて、大黒座の常連の映画好きの若者により結成され活動していた。自主制作で映画までつくっていたそうで、その一部が作中でも紹介されていた。ちなみに現在、大黒座では毎年秋に浦河大黒座まつりというイベントをやっているよう。更に余談だがボロボロで暖房も効かなかったという、立て替え前の旧大黒座は、93年に上映された『結婚 佐藤・名取御両家篇』(監督:恩地日出夫、出演:佐藤浩市、名取裕子他)の舞台としても使われたそう。