『ロッキー』を見た。きっかけは、町山智浩氏のベスト1がこの映画であることと、ライムスター宇多丸氏が、震災直後のラジオで「古典」としてこの映画を推していたこと。
(当たり前ですが)すばらしい映画でした。
ロッキーが、自分自身で「勝利条件」の「設定」をする場面が美しく、印象に残ります。
酔漢マルメラードフを髣髴させるエイドリアンの兄をはじめ、『罪と罰』と類似する点が幾つかあることにも気づきました。
『スプリング・フィーバー』と同じく、これも「愛」の映画だと思います。
ただその「愛」は、交換価値として社会を流通する愛ではなく、むしろ社会──というよりも「世界」──を基礎づける「愛」だと思っています。
(乱暴な言い方をすると、ふつう世界の中で(恋)愛は機能すると考えられていますが、むしろ愛の中に世界があるのではないかと。電波っぽくなってきたのでここでやめます笑)