国土の8割が森林であるフィンランドには、旧石器時代から人が住んでいたという。
愛してやまないアキ・カウリスマキの作品に映るヘルシンキの美しい街並みを見つめ、
ムーミンやサンタクロースやサウナを生みだした人たちの優しい心を思った。
「Into Eternity」100,000万年後の安全 という映画を観て、放射性廃棄物の問題はすでに原発賛成とか反対のレベルではなく、恐怖のゴミとして目の前にあるものをどう処理しなければならないかということであり、それが今人類全体が抱える大問題なのであると思い知った。
使用済み核燃料の処理方法としては、地下深くに埋めるのが一番良い選択だという。
その場所はオンカロと呼ばれ、フィンランド語で「隠れた場所」を意味する。
世界に先駆けて作られているオンカロは、ヘルシンキの西240㎞の島の地下深く、500メートルの地点まで掘り、100年後に完成するという。100年後・・・
冒頭、カメラはゆっくりとオンカロの入り口へと進む。
間近に迫る暗いトンネルを観て、私は総毛立った。
これはセットではない。本物の、現実なのだ。
トンネルの奥深くに「核の墓場」が作られつつある。
それは10万年の間保持されるよう、作られつつある。
10万年?観る前は冗談かと思ったが、フィンランドの人は本気だった。
映画の中で、10万年後の人類に(いるのか?)オンカロが地下深くにあることを知らせるかどうかということが問題として提示される。警告の看板を作る計画もある。
誰かが気付いて掘り返しでもしたらおしまいである、というのだ。
その時言語は?6万年後に氷河期が来る?
フィンランドの人は真面目に考えている。すごすぎる。
廃棄物が一定量に達し封鎖された後は、忘れ去られることがベストであるという。
人々がオンカロの存在を忘れてくれることが最もありがたいことであると。
「忘れることを忘れるな」と伝えてほしいと。
ダイナマイトで岩盤が爆破される。工夫のヘルメットに付けられたサーチライトが、未来の墓場をゆっくりと照らし出す。この映画が教えてくれる恐怖は、「問題」が私たちのすぐ近くにあるということだ。
私は京都の薄暗いお寺と林に囲まれた一角で育った。
上京して、大都会の凄まじい明るさに、いつのまにか慣れてしまっていた。
自戒を込めて、本気で必死でやり直さなければいけない時が来たと心から思う。
原発を巡って複雑な問題が絡み合っていることは理解できる。
しかし今、東北地方の一部で起きたあまりにも悲しい大災害を前にして、あまりにも恐ろしい、終息しない原発事故を前にして、私の体中の細胞が叫ぶ。
やり直せ!やり直せ!やり直せ!