2011-04-15

不法移民のサクセス・ストーリーに影を落とすFGM——映画『デザート・フラワー』他—— このエントリーを含むはてなブックマーク 

 昨日今日と東京は春らしい気持ちのよい日でした。にも拘らず、毎日余震が続き、福島第一原発の事故は収束の兆しが見えず、加えて極右の都知事は楽々再選してしまうしで、気が晴れません。なぜこんな状況下でも日本では依然右派が支持されているのか…どう理解したらいいのやら。ちなみに僕の分類では民主党もとい嘘つき党も右派で、自民やみんなの党とか維新何とかといった保守系新党ととどのつまり同類です。

 個人的に将来の見通しが立たず、何の希望も持てないことには、悲しいかな、何かもう慣れてしまいましたが…(苦笑)。

 先週の金曜日いつもの下高井戸シネマで、映画『デザート・フラワー』(原題“Desert Flower”、監督・脚本:シェリー・ホーマン、原作:ワリス・ディリー(※)、出演:リヤ・ケベデ、サリー・ホーキンス、ティモシー・スポール他、2009年、ドイツ・オーストリア・フランス)を観て来ました。
 
 ※邦訳は、武者圭子訳『砂漠の女ディリー』、草思社、1999年、今春文庫化

 http://www.espace-sarou.co.jp/desert/

 家族とソマリアの荒野で山羊やラクダの遊牧生活を送っていた少女ワリスは、何頭かのラクダと引換に老人と結婚させられそうになったため、苦難の末に何とか首都モガディシュの叔母のところへと逃れる。その後内戦の兆しを察した叔母の指示で親戚が大使として赴任していたイギリスに渡り(実際にソマリアは1988年から現在まで内戦状態にある)、大使公邸のメイドとして働く。本国に大使一家が召還される際にもワリスは同行せず、その後ロンドンで単身ホームレス生活を送っていた。偶然バイト先のファーストフード店で有名なファッション・カメラマンにスカウトされて、モデル事務所の女社長の後押しもあって、その後一気に国際的なファッション・モデルとしてスターダムにのし上がっていく。

 とは言え本作は勿論、単なるサクセス・ストーリーではない。実際にワリスは不法滞在ゆえに、モデルとして成功後もフランスの空港で拘束されたり、早朝の突然やってくる内務省を恐れながら偽装結婚をしたりと、永住許可書を交付されるまで大変な苦労を味わわなければならない。しかし彼女を心身共に深く縛り甚大な苦痛を与え続けるのは、幼少時に施されたFGM(※)だった。

 ※“FGM=Female Genital Mutilation”、女性器切除。詳しくは、
 http://ja.wikipedia.org/wiki/女性器切除
 を参照。

 このFGMのせいでワリスは排尿や月経の際には激痛に耐えなければならない。しかし痛みに耐え切れず病院に運ばれて、診察した白人医師に手術を勧められても、通訳に呼ばれたソマリア人の男性医師から同僚に分からぬようソマリア語で罵詈雑言を浴びせかけられてしまう。また保守的なイスラム圏特有の(?)厳格な性道徳や処女信仰によって、内面的な拘束を受けているのに加えて、FGMによって性器が物理的に「閉じられて」しまっているがゆえに、ワリスは親友のイギリス人女性のように、セックスは言うまでもなく、そもそも男性との交際に積極的になれない。モデルとして大成功を収め、ニューヨークに拠点を移してからも、ワリスはその呪縛から自らを解き放つことが出来なかった。しかし子どもの時に受けたFGMのことをファッション誌『マリー・クレール』のインタヴューで明らかにしたのを皮切りにして、最終的には国連大使になるなど、FGM廃止のための国際的な運動にコミットすることになる。

 現時点では未読だが、上述のワリスの原作や、次作“Desert Dawn.”(武者訳『ディリー、砂漠に帰る』、草思社、2003年)を読めば、恐らくもっと詳しい事情や背景が分かるのだろう。

 ホームレスからトップモデルへのサクセス・ストーリーの部分は、ビジネスライクでシビアな振りをしながらも、実はとても親切なモデル事務所の女社長役のジュリエット・スティーブンソンの演技が最高だった以外は、ファッション業界に僕が全く興味がないこともあって、印象が薄かった。またワリスがロンドンのクラブで一度戯れにナンパされただけのアフリカ系米国人の男性を、何年も経ってからも慕い続けているという設定もしっくり来なかった。もしかしたらワリス自身の自伝にそういう下りがあるのかもしれないが。しかも当の男性は、僕の見る限り、特別に光るものがある訳でも魅力的な訳でもなかったし。

 やはりと言っていいのか分からないが、一番印象に残ったのはFGMだ。内戦前もソマリアは貧しく、子ども時代のワリスの生活も兄弟姉妹が何人か餓死してしまう程、厳しいものだとは言え、自由や自然との近しさなど、遊牧生活にはそれ特有の魅力があるはずだ。実際に作中でもワリスの子ども時代は単なる暗黒の時代だとは描かれてはいない。つまり内戦は兎も角、ソマリアにはソマリアの魅力があるはずで、やや微妙な点もあったが、基本的にはこの映画もそれを否定している訳ではないように見受けられた(ややオリエンタリズム臭はしたけれども)。とは言えFGMに関しては全く話は別で、名誉殺人同様、どうしたって擁護しようもない悪習だ。作中末尾で再現される三歳のワリスが屋外で太陽の下、魔女を思わせる老女に麻酔無しで施術され、激痛と恐怖で泣き叫ぶシーンは、目を背けたくなる程強烈だった。しかも心身のダメージは生涯続くのだから…。しかしならがらFGMの背景には、現在まで続く家父長制を特徴づける女性蔑視・女性不信があり、FGMはその極端な表れに過ぎないことを、僕自身も含めた「先進国」の異性愛者の男性は特に心に留めておかなければならない。

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知世(Chise)

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知世(Chise)

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