昨日からまた大きな余震が頻発して、神経が休まりません…。いわき市では土砂崩れで何人も亡くなられたようですし…。そして追打ちをかけるように、未だ収束の見通しが立たない福島第一原発の事故評価は、チェルノブイリと並ぶ最悪の7に…。3月11日から突然私たちは皆、これまでとは全く違う時代に生きることを余儀なくされてしまったような気がします。
先々週のウィークデーの午後、いつも行く下高井戸シネマで『人生万歳!』(原題“Whatever Works.”、監督・脚本:ウディ・アレン、出演:ラリー・デヴィッド、エヴァン・レイチェル・ウッド他、2009年、米国)を観て来ました。
しかしこの安っぽい日本語タイトル、何とかならなかったんでしょうか…
主人公は離婚歴のある初老の引退した物理学者ボリス。彼はニューヨークの裏町の古ぼけたアパートに一人で暮らしている。頭の回転はとびきり早いのだが、自分にも他人にも容赦のない攻撃的な性格のため、数少ない親しい友人にも距離を置かれてしまっている。
或る晩、二十歳そこそこの家出娘メロディが転がり込んでいる。南部の超保守的な家庭で育てられた彼女は、若くて美人で素直で単純。つまり主人公とは対照的な存在として描かれている。
その後彼女は不思議なことにボリスにすっかり「洗脳」されて、ラディカルな進歩派に宗旨替えすると共に、異性としての彼にも惹かれるようになり、彼女からのプロポーズで彼と結婚。人生の悦びを体現するような存在である彼女と共に過ごすうちに、世捨て人の皮肉屋ボリスの心の氷も徐々に溶けていく…。
以上が作品中盤までの粗筋。ここまでは非常に性差別的な二元論に基づいた、ありきたりなストーリーで、正直観ていてシラケてしまいました。しかし幸いなことに、こんな有り触れた“cliché”(※)で終わらないでくれました。
※クリシェ(フランス語:cliché, 発音:[klɪ'ʃe])とは、乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句(常套句、決まり文句)・表現・概念を指し、さらにはシチュエーション、筋書きの技法、テーマ、性格描写、修辞技法といった、ありふれたものになってしまった対象(要約すれば、記号論の「サイン」)にも適用される。否定的な文脈で使われることが多い。
http://wkp.fresheye.com/wikipedia/クリシェ
夫の浮気に腹を立てて家出し、メロディを頼ってニューヨークにやってきた彼女の母親は、ボリスの友人の哲学教師とその知り合いの画廊主(?)に写真家としての才能を見出されると同時に、彼等と三人で同棲を始め、ウルトラ右派から娘同様バリバリの進歩派へと転じる。続いて浮気相手に去られて妻と復縁しようとニューヨークに彼女を追って来た父は、あらゆる点で一変した妻ににべもなく拒絶されてしまう。その晩、傷心を癒そうと一人痛飲していたバーで、パートナーに去られたばかりのゲイの青年に出会い、ずっと抑圧してきた同性愛的なセクシュアリティを自覚し、結局ユダヤ系のその青年と付き合うようになる。
進歩派になった後もメロディの母のボリス嫌いは変わらず、彼女の手引きでイギリス人の若くてハンサムな俳優がメロディにアプローチし始める。最初は拒絶していたメロディだが、結局彼の魅力に太刀打ち出来ずに関係を持つに至る。彼女はボリスに別れを切り出し、最初は事態を飲み込めなかった彼も、最後は静かに離婚を受け容れる。メロディに去られて生きる意欲を失ったボリスは、自殺を図ろうと自室の窓から身を投げるが、偶然犬の散歩をしていた中年の占い師の女性の上に落ち、未遂に終わる。何とこの被害者の女性が、ボリスの次のパートナーとして、彼を人生に引き止めてくれることになる。
最後は、ボリス、メロディ、その両親が、各々新しいパートナーと共に、ボリスのアパートに一同に会して、共に新年を祝うシーンで終わる。
メロディの描写にはずっと性差別的な偏見が残っているような気がしたし、末尾近くのボリスと占い師の女性の出会いも、あまりにも唐突でややご都合主義的な感じもしたが、小刻みよく続く保守派への当てこすりと、“cliché”を転がし、そして裏切る、テンポのよいストーリー展開は楽しめた。手つかずのままの“cliché”を楽しむのが、一般向けの漫画やドラマのような、大衆的なエンターテイメントで、跡形も無い程“cliché”を打ち壊したり、あるいは“cliché”の対極を描くのがアートだとしたら、エンターテイメントのギリギリの枠内で“cliché”を弄ぶ、諧謔に満ちた娯楽作品とでも言えようか。