2011-04-01

カタストロフィーの最中で観る、生と死の循環——『四つのいのち』クロスレビュー@辛口版—— このエントリーを含むはてなブックマーク 

 南イタリアのカラブリア地方の山間の村を舞台に、循環する生命のサイクルを淡々と映し出す本作は、私見によれば三部構成になっています。第一部は呼吸器を害しているせいで、絶えず咳き込んでいる独居の老羊飼いと、彼が番をしている山羊の群れと一匹の牧羊犬に、第二部は老いた羊飼いが自室で独り亡くなっているのが発見された日に、山羊の小屋で生まれた子やぎに、第三部は村の祭りのために切り倒され、祭りの後には炭にされる、群れから逸れた子やぎがやむなくその前の溝で眠りに就いた楡の巨木に、各々スポットライトが当てられています。

 出演者は皆、その村で実際に生活している住人で、ナレーションも音楽もなく、88分間非常に淡々と山間の村の日常が、映し出されていきます。正直個人的には、上記の第三部に入ってからは集中して観賞するのが難しい程、あまりに単調な気がしました。例えば、いろんな意味でそれ自体として非常に問題のある作品群だとは思いますが、『ガイア・シンフォニー』シリーズのように、地球生命共同体を構成している生と死の循環をテーマにしたインタヴューやナレーションを入れるとか、民族文化映像研究所のドキュメンタリーのように、民族学的な解説を差し挟むとか、鑑賞者が映像世界の中に入り込むための足がかりみたいなものが必要ではないでしょうか。

 また内容的にも、物足りなさを感じました。と言うのも、地球の息吹は、本作で描かれているような、穏やかで人間社会に親和的なものであるばかりではなく、時にそれを根本から覆してしまうような荒々しさを秘めてもいるということを、日本社会そのものの行方を根底から変えてしまった東日本大地震を通じて、私達は今まさに目の当たりにしているからです。同じく今日では自然と人間は決して牧歌的な調和関係にはないことを、少なくとも福島県から首都圏までの地域に住む人々を、今後長期間に渡って重苦しい不安の中で生き続けることを余儀なくさせている、現在も事態収拾の見通しがつかない、福島第一原発の事故(余談ですが僕の父は原発のある双葉町の出身です)によって、私達は痛感させられているのです。このような容赦のない破滅的な現状の中では本作は、厳しい言い方をすれば、問題から眼を逸らせる逃避的な効果しか果たさないとさえ言えるのではないでしょうか。

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知世(Chise)

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