どんなに厭でも、石原の(特に初期の)小説に目を通さなくてはいけない。
12月上旬の毎日新聞東京版に載った、この石原の発言は間違いなく悲惨だが、それと、彼の文学者としての力量は別のことだ。
http://mainichi.jp/photo/archive/news/2010/12/07/20101208k0000m040122000c.html
また、優れた作家が、文学的誠実さを保てないことはよくあることなので(cf. 村上龍)、そこは誠実に批評しないと、批評する側が信用を落としてしまう。
という自分も大塚英志の『サブカルチャー文学論』の、石原に関する二章を読んだり、音楽・映画・文学・思想と横断的に教養溢れる、そして常識に富む(と思われる)方から、石原の作品は評価する(いまのものは読むに値しないと付け足されたが)、と聞いて自分のそそっかしさ、軽率を反省した。
そして、大塚の批評を通して間接的にだが、少しでも石原の出自や(若い頃の)考えなどを(間接的にでも)知れて、良かったと思う。
簡単に言えば、彼も苦しんだ挙句、壊れたのだな、と思えた。
それ迄は、あの発言を思い出すたびに激しい憤りを覚えていたが、これからは少しはましになるだろう。
恐怖・怒り・怖れなどを克服するには、その対象をよく「知る」ことが大前提だ。
大塚は、石原はそれを回避したから今のようになってしまった、と結論付けている。
(『サブカルチャー文学論』からの引用を交えた文章を後日書き足すかもしれません。)