2011-01-24

石原慎太郎に喧嘩を売るなら このエントリーを含むはてなブックマーク 

 どんなに厭でも、石原の(特に初期の)小説に目を通さなくてはいけない。
 12月上旬の毎日新聞東京版に載った、この石原の発言は間違いなく悲惨だが、それと、彼の文学者としての力量は別のことだ。

http://mainichi.jp/photo/archive/news/2010/12/07/20101208k0000m040122000c.html 

 また、優れた作家が、文学的誠実さを保てないことはよくあることなので(cf. 村上龍)、そこは誠実に批評しないと、批評する側が信用を落としてしまう。
 という自分も大塚英志の『サブカルチャー文学論』の、石原に関する二章を読んだり、音楽・映画・文学・思想と横断的に教養溢れる、そして常識に富む(と思われる)方から、石原の作品は評価する(いまのものは読むに値しないと付け足されたが)、と聞いて自分のそそっかしさ、軽率を反省した。

 そして、大塚の批評を通して間接的にだが、少しでも石原の出自や(若い頃の)考えなどを(間接的にでも)知れて、良かったと思う。
 簡単に言えば、彼も苦しんだ挙句、壊れたのだな、と思えた。
 それ迄は、あの発言を思い出すたびに激しい憤りを覚えていたが、これからは少しはましになるだろう。
 恐怖・怒り・怖れなどを克服するには、その対象をよく「知る」ことが大前提だ。
 大塚は、石原はそれを回避したから今のようになってしまった、と結論付けている。

(『サブカルチャー文学論』からの引用を交えた文章を後日書き足すかもしれません。)

キーワード:

Criticism / ContemporaryJapan


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坪井野球

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坪井野球

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