2010-12-31

ジプリ・アニメにおける「性の問題」他 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 東京は大晦日もますます痛寒いですが、皆さん、お元気ですか?

 私自身は今度の正月は、少しだけ贅沢な美味しい食べものを肴に、ゆっくりとお酒を呑む以外は、基本的にいつも変わらぬ過ごし方をする予定です。勿論、飲み過ぎ注意です(最近、週に一二度、休肝日を設けるようにしていて、昨日は抜きました)。

 ところで、一昨日『借りぐらしのアリエッティ』を観てから考えていたのですが、同作も含め、主人公が男でも女でも、ジプリの殆ど全ての作品には、その主要な構成要素として、男女の(異性)愛が組み込まれていますよね。これって宮崎駿、高畑勲両監督をはじめとするスタップが、それを当然視ないし重要視しているからんでしょうけれど、よく考えてみると、問題じゃないんでしょうか?

 現在では例えば、『攻殻機動隊』のように、主人公がレズビアンのアニメーションも既に存在しているのに…。

 それに、宮崎が一時期常に枕元に置いていたほど愛読し、かつてはアニメ化を自らオファーしたこともあったという、『ゲド戦記』の作者アーシュラ・K・ル=グィンは、既に1969年に、性の問題をテーマの一つにしたサイエンスフィクション『闇の左手』を書いています。更に彼女は、同書をテーマにしたエッセイ「性の問題」(1976年執筆/89年改訂。邦訳『夜の言葉』所収)で、同性愛を含めたセクシュアリティについて思索を深め、実際に『言の葉の樹』(2001年)では、主人公サティは同性のパートナーをテロで失ったという設定になっています。

 ちなみにル=グィンは1929年、高畑は35年、宮崎は41年生まれです。

 実は私自身もこれまで、そして現時点でも異性愛者の男性で、異性愛を自明視していたため、この問題を意識化し問題視することもありませんでした。こんなことを考えるようになったのは、今月に入って、上述のル=グィンの「性の問題」や、アドリエンヌ・リッチ「強制的異性愛とレズビアン存在」(1980年)(リッチ『血、パン、詩』、1989年、53-119頁)(Rich,Adrienne, Compulsory Heterosexuality and Lesbian Existence(1980), in Rich, Blood, Bread, and Poetry, 1986.)を読んで、大衆的なフィクションの広義の政治性について意識するようになったからです。

 それにこれまで、いろんな人に迷惑をかけイヤな思いを味わわせ(本当にごめんなさい)、痛い目に遭った結果、一昨年から家父長制的二元論の問題性をテーマに読み書いている私自身が、依然強くそれに縛られていることに、ようやく気づき始めたということもあります。

 2010年は研究面でもプライヴェートでも、正直散々な一年でしたが、あと四時間前後で始まる新しい一年は、謙虚で前向きな姿勢を忘れずに、気を引き締めて過ごそうと思います。

 では、皆さん、よいお年を。
 

 注記:画像は、ル=グィンです。

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知世(Chise)

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知世(Chise)

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