誰であれ好きな人と嫌いな人がどうしてもでてくる。これはどうしようもないことである。よって自己分析を行うことである程度の類型化をするに至った。私の好きな人と嫌いな人である。
好きな人 嫌いな人
(1)信念のある人々 信念のない人々
良い意味でひねくれており特定の文化圏のイデオロギーと何度も衝突をしている経験はあるが自分なりの揺るぎない信念を形成するために奮闘したと規定される人々。つまり思想の問題ではなく各々の美徳の問題である。理論や理屈ではなく「生きる哲学」なのである。
(2)非同一性傾向が強い人々 同一性傾向が強い人々
ジャンルに没入をしなかった人々。国や学校や会社やクラブやサークルに所属はしているが「社会的アイデンティティ」を達成せず自己の信念を曲げなかった人々。つまり経験は蓄積されているが自己主張はしえないジャンルのない人種。それに対して同一性傾向が強い人々は「仲良くなるために合わせようと努力する」もしくは「白い目で見られたくないから非同一性を克服しようと頑張る」のである。つまりわざわざジャンルに没入することでステレオタイプ的な学生や社会人もしくはアキバ系や原宿系になろうとするのである。彼らや彼女らは臆病であり内的に行動することはできない愚か者なのである。
(3)無知であることを認めている人々 賢者であろうとする人々
ソクラテスの「無知の知」である。賢者ぶることは無知であることよりも恥である。
ゆえになにかわかった素振りを見せるもしくはわかったと主張することは有害である。
何もしないのがいいとは言ってはいない。何かをしてもわかりえない事があると言っているのである。知識や仕事の存在を否定しているわけではない。
(4)センスのいい指導者や啓蒙家たち 彼らに従事する低能な信者
組織の指導者である。型破りな発想や人を惹き付ける力を持っている。理論や理屈では説明がつかない何かで他者を魅了する。しかしこれに従事する思考停止人間は個人的には好かない。主にスポーツ選手、ミュージシャン、アイドルのファンであり宗教の信者たちである。彼らは自己正当化機械である。彼らは指導者や神を愛しているわけではなく自己の生き方を正当化するために彼らの存在もしくは神の存在を利用している。ゆえに生きやすいしかし好かん。
(5)観念的価値観が強い社会的地位の高い人or低い人 唯物論的価値観が強い人々
唯物的価値観が強い人々は発想が貧乏臭く腹黒いペルソナ人間である。意地っ張りであり八方美人でありセンスの欠片もない。それに反して観念論的価値観の強い人は外からの影響を受けず背丈にあった生活を試みる傾向があり人と合わせることなく他者と付き合うことができるのだ。貧乏臭い人間の周りには貧乏臭い人間が集まる。貧乏臭い人間の会話はいかに認められるかいかに物を持つかの2点で成立している。ゆえに付き合う価値はないであろう。