解説によると、金子遊監督とその彼女が共に1999年に新右翼「一水会」の木村三浩氏に惹かれ、彼女は一水会に加わり、監督は木村氏の撮影を始めて旧ユーゴまで同行し、その後2006年に彼女が亡くなったのをきっかけに撮影を再開して完成させた、というのが大まかな経緯である。
完成まで約10年かかったのは、当初から明確な製作意図はなく、とりあえず記録することを始めたからと思われる。
そして、完成した作品を観ても、何かを追及したり告発する意図も感じられない。
また、監督にとって特別な存在であるはずの彼女との関係や想いもあまり示されない、
以上のように、理解するための判断材料が少ない映画なのだが、それはひょっとしたらこの映画は、観る者に何かを解ってもらうことより、監督が自分の気持ちを整理するために完成にこぎつけたからではないだろうか?
映画の中に登場する人たちは、木村三浩氏をはじめ、信念を持ってそれを達成しようと行動する人たちばかりなのだが、監督は木村氏に魅力を感じつつ同調することはなかった。
ざっくり言えば、「信念を持てる人」(=活動家)と「信じるものを持てない人」(=監督)とに分かれていて、監督は彼らとは完全に相容れないものの、かといって対決しよう思う相手でもない。
他者を意識してではなく、何を見せて何に触れないかを自分の気持ちに正直に作ったら、こういう映画にしかなり得なかったように思える。
作為がなく、監督の素直な想いが感じられたからである。
そんな言わば「私映画」は、ネットの世界ではテクノロジーの発達やブログやツイッタ―の登場により、個人が気軽に想いを発信できるようになって、それが新しいコミュニケーションの世界を作ったことを考えれば、撮影機材などが発達するなどにより、映像作品の発表の敷居が下がることと合わせて、受け入れられるものだろう。
なにより、「作りたいと思った人が作ること」を妨げる理由は何もないはずである。