ミヒャエル・ハネケの『白いリボン』が12月、雪に包まれていく寒村を舞台にしたこの映画に相応しい時期に公開される。今まで色素が薄かったハネケの新作はとうとうモノクロになり、白い雪原に浮かびあがる人間たちの悪意・薄暗さが更に鮮明になった。
ハネケの映画について語るのはむつかしい。映画の中で何が起こっているのかを語るのもむつかしければ、その映画について語るのもむつかしい。うかつに語るとハネケの映画について誤解を与えたりネタばれをしたりしてしまう可能性もある。つまり、このレビューは読者に妙な誤解やバイアスを与えてしまうことを覚悟して書いているのだが、2時間24分という上映を終えて真っ先にぼくが思いついたのは『未知空間の恐怖・光る眼』(1960)や『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956)という旧いSF映画だ。
『白いリボン』と同様に小さなコミュニティの中で広がっていく怪異の正体は登場人物の目の前で明らかになるが、『白いリボン』ではそのカタルシスが得られない。『ボディ・スナッチャー~』同様に怪異が進行していくのに、だ(軽くネタばれをしてしまうが『白いリボン』にはエイリアンは出てこない。念の為)。
その怪異の合間に描かれるのは、寒村を包むさまざまな重苦しさに耐える他のない子供達。ハネケの映画には珍しく語り部がいて、ナレーションと共にその子供達の状況が語られ、描かれる。うつむき、泣き、おし黙り、唐突な暴力に襲われる子供達。長い、とても長いワン・シーンの中で、容赦のない仕打ちを受ける子供達。『白いリボン』は事実を描いた映画ではないのだが、このような、残酷な内容の映画を扇情的にではなく冷静に、論理的に描くミヒャエル・ハネケこそが最も恐ろしく、悪意の塊にみえる。
余談になるが、原題をそのまま直訳すると『白いバンド』になると思うのだが、あえて『白いリボン』と訳した配給会社にも(無論良い意味で)悪意を感じる。上映館は少ないが、ぜひ足を運んでご覧になって欲しい。ハネケと、それに加担した配給会社の悪意の中身を。
キーワード:
次の日記≫