2010-10-23

『スプリング・フィーバー』クロスレビュー 刹那的でなく永遠の愛を求めて このエントリーを含むはてなブックマーク 

愛について、愛することの形について、考えさえるせられる作品だ。尤も、愛すると言う行為が、それ自体、何物にも束縛されることなく、自由であるものと思っている。
 作品は、タイトル通り、春の嵐を想像させる愛の姿をまさしく自由に描いている。その姿は、ある種、刹那的に見えるが、その視線の先には永遠の愛を求めているように感じる。
 監督、ロウ・イエは、愛の物語であれば政治と関係がないからと言うが、登場人物たちの視線の先にあるものの不安が、刹那的な愛の形を繰り返してしまっているように感じる。
 確かに、愛に定義はないのだが、その愛を得た瞬間から、愛することに束縛されていく矛盾。単純なる快楽ではない、本当の愛を求めて彷徨う様は、あまりにも苦しく、哀しい。
 春は木の芽時。心を不安定にさせる季節でもある。劇中、郁達夫の詩が効果的使われて、この作品のイメージをかたどっているが、私には、在原業平の短歌「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」を思い浮かべていた。
                   
 ロウ・イエ監督は、政治と無関係と言うが、この作品に隠れているテーマは、政治的な強いメッセージが込められていると感じた。

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fwhd8325

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fwhd8325

“映画好きです。”


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