2010-09-26

映画『ディア・ピョンヤン』と『パリのモスク——忘れられたレジスタンス——』他 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 昨晩友人とのお喋りで何とか半ば自暴自棄になっていた荒んだ気持ちも治まり、帰宅後軽く呑んで寝て、今日は十一時前に頑張って起きて、映画を観に中野駅からJRで国立へ。先週末に引き続き、国立の市民運動関係者が手弁当でやっている、「ピースウィーク“まちじゅうが映画館”」というイベントです。

 http://blog.goo.ne.jp/kunitachipw/e/44aa6ad022cc16694894c36eb97ce5aa

 
 中野まで行くバスから観た空は穏やかな秋晴れで、車内の混雑を忘れる程の清々しさ…。国立駅は依然改築中でしたが、すっかり今風ののっぺりした建物になっていました。また秋祭りなんでしょう、駅近くの大学通りの歩道部分には露天商がびっしり出店し、食べ物を頬張りながらウダウダ歩く人でいっぱいでした。

 何とか人混みを抜けて一橋大構内の上映会場へ。駅前の混雑から一転して構内にはポツンポツンと人がいるくらいで、ホッと一息。

 最初に上映されたのは一度行きつけの下高井戸シネマで観たことがある『ディア・ピョンヤン Dear Pyongyang』(監督・脚本・撮影:梁英姫(ヤン・ヨンヒ)、日本、2006年)。

 配給元のシネカノンが(確か)倒産したせいか、ホームページが閉鎖されているようなので、参考までにWikipedia日本語版の作品解説を下記にコピペしておきます。

 「日本で生まれ育ったコリアン二世の映像作家・梁英姫が自身の家族を10年にわたって追い続けたドキュメンタリー。朝鮮総連の幹部として活動に人生を捧げた両親と娘との離別と再会、そして和解を描く」(恐らく両者の北朝鮮の現体制やイデオロギーに対する態度の相違を念頭に置いているのでしょうが、少なくとも作中では娘=梁監督自身と両親の「離別」を想起させるようなシーンはなく、両者の仲は至極良好のように観えました)。

 両親共に、老いても公の場では北朝鮮の現体制とイデオロギーに対する忠誠心を強調しはするが、平壌在住の息子一家その他大勢の親戚と知り合いが、自分達が日本から送る現金や物資を頼りに生活している状況等から、 同国が経済的に困窮し将来への展望も見出せない状況にあることに薄々気付いており、以前は絶対に許そうとしなかった娘の朝鮮籍放棄と韓国籍取得も了承するまでになる。

 ところでとりわけ印象的だったのは夫婦の間の、親子の間の、兄弟姉妹の間の情愛の深さだ。元々の民族性も幾分関係しているのだろうが、異国で生きる被支配的少数民族の苦境ゆえのものではないか。

 作品の終わり近くで父は恐らく脳卒中で倒れ、最後は半身不随の状態で闘病生活を続けているとのナレーションで結ばれる。身体も言葉も不自由になった父親からは、それまでは僅かながらに残っていた元総連幹部としての側面はすっかり消えて、残っているのは家族への愛情だけのように見えた。

 上映時間は二時間近くで、ちょっと腰が痛かったけれども、大学の講義室だったこともあって何とか…。この作品の観賞は、現在の日本社会に満ち溢れている、在日朝鮮人も含め北朝鮮関係者は皆、おどろおどろしい「敵」、異質で相容れない「他者」だという、理不尽な排外主義から、理屈ではなく実感覚として離れるための第一歩になると思います。

 二作目は30分弱の小品で、元々はフランスのテレビのドキュメンタリー番組として製作されたという『パリのモスク——知られざるレジスタンス——』(原題“La mosquée de Paris. Une résistance oubliée.”、監督:Derri Berkani、1991年、フランス)。
 
 http://sarasen.noblog.net/blog/a/10851989.html

 ドイツ占領下のパリで、捕虜収容所からの脱走兵、レジスタンス、そして何よりも子どもを中心としたユダヤ人達を匿い、ドイツ占領軍から守ったイスラム教徒達のドキュメンタリー。しかしその後、マグレブ諸国出身で親フランスのイスラム教徒達の記憶は、苛烈を極めたアルジェリア戦争のために、フランスでもマグレブ諸国でも歴史の片隅に追いやられてしまった。またそれまで千年以上の間共存してきたイスラム教徒とユダヤ教徒は、イスラエルの建国前後から続くイスラエル政府によるアラブ系住民に対する一種の民族浄化のために、不倶戴天の敵同士になってしまったように見える。

 前者に関しては、複雑な政治的要因が絡み合っており、事態はそれほど単純ではないことが、上映終了後の解説で鵜飼哲さんによって強調されていた。他方後者については、一刻も早く理にかなった政治的解決を図り、現在のイスラム教徒とユダヤ教徒の敵対状態が非本来的なものであること、苦しむ「他者」に対する手を差し伸べることこそ、あるべき対他者関係であることを想い起こすことで、変えられていくべきものだと、本作に日本語字幕を付けた池田真里さんは訥々と訴えていた。

 池田さんは、本作を書籍化した(?)書物(※1)および、本作に英語字幕を付けた、自身がパリ在住のイスラム教徒によってモスクに匿われて生き延びた子どもの一人でもある、米国在住のルーマニア系ユダヤ人の手記(※2)の訳者でもあるよう。ちなみに池田さんは、イラク戦争後の一種の内戦状態のバクダッド在住の若いイラク人女性によるブログ=リバーベンドブログの翻訳者の一人でもあるとのこと。

 ※1:カレン・グレイ・ルエルとデボラ・ダーランド・デセイ文と絵、『パリのモスク——ユダヤ人を助けたイスラム教徒——』、彩流社、2010年

 ※2:アネット・ハースコヴィッツ「この子たちは我が子も同じ——ユダヤ人をかくまったパリのモスク——」、『世界』、2005年9月号。訳者の池田さんによれば、彼女の個人的な友人である、仏教に改宗した元ユダヤ教徒ハースコヴィッツは、9.11以降の米国でのイスラム教徒に対する迫害の急増と激化を憂慮して、他者への寛容と歓待の重要性を強調するために、この忘れられていた歴史を取材したフランスのドキュメンタリー番組に、英語字幕を付けて米国で上映することを決めたという。

 上映終了後外に出たら、雲行きが怪しくなり、すっかり薄暗くなっていました。吉祥寺で途中下車してナチュラルハウスで大好きな木次乳業のチーズを買って(レシートに記されていた「発注不可」の文字が気になりました…)、井の頭公園駅まで小雨の降る中ブラブラ歩いて行って、京王線で帰宅。国立への行き帰りの車内で、ル=グィンの『言の葉の樹』も集中して読めたし、有意義な一日でした。

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知世(Chise)

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