2010-06-19

シュロモー・サンド講演会と映画『ミツバチの羽音と地球の回転』 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 先週の金曜日の晩は、駿河台の明大にイスラエルの歴史家シュロモー・サンドの講演会「ユダヤ人の歴史とアイデンティティ」を聴きに行きました。予約が10日前に締め切られるなど、かなりの人気で、会場は満席。

 サンド(Shlomo Sand)は1948年オーストリア生まれ、両親と共にイスラエルに移住して同地で教育を受け、現在テルアビブ大学の歴史学教授。2008年にフランス語で刊行され、今年邦訳が出されたその『ユダヤ人の起源——歴史はどのように創作されたのか——』(高橋武智監訳、佐々木康之・木村高子訳、発行:浩気社、発売:武田ランダムハウスジャパン)は、大ベストセラーになると共に大きな波紋を投げ掛けた。と言うのも同書においてサンドは、ユダヤ人とはユダヤ教徒のことで、人種や民族ではないことを証明した上で、ユダヤ人国家というイスラエルの自己規定には根拠が無いので、同地に住む全ての人々に平等な市民権を付与する本当の意味での民主国家へと転換すべきだと主張しているからである。

 ユダヤ人とはユダヤ教徒のことだという、サンドの論証は、現在ではセクト的とも言える閉鎖的な宗教だと見做されているユダヤ教が、実際にはキリスト紀元前2世紀から紀元後4世紀までは非常に強力な一神教として、民族を問わず多くの人々を改宗させていたという史実に基づいている(結果的にはそれは後にキリスト教、そしてイスラム教が世界的に広まる「地均し」の役割を果たした)。実際にイエメン、カフカス、北アフリカなどにはユダヤ教を国教とした国が歴史的に存在していた。このような、一種の世界宗教を目指した活発な宣教活動の結果、多神教からユダヤ教に改宗した様々な人種や民族の子孫が、現在ユダヤ人と呼ばれている人々なのである。

 また新約聖書などから受けるイメージとは異なり、当時のユダヤ教の敵は多神教であってキリスト教ではなかったという。そして現在のようにユダヤ教が宣教を行わなくなったのは、その後継宗教とも言えるキリスト教やイスラム教が多数派となった世界の中で存続するためであった。

 サンドを日本に招聘したのはジャーナリストの広河隆一さん。1968年にイスラエルのマッペンという左派の団体でサンドと出会い、占領に反対する運動を一緒にやっていたそう。その後も友人としての関係を続け、イスラエル滞在時にはサンド宅に泊まっているそう。最近会った時、「我々は世界を変えることは出来なかったが、世界も我々を変えることは出来なかった」ということを落胆と共に、志を変えないことの大切さと大変さを確認し合ったという。
 
 最近ユダヤーイスラエル問題やアラブ地域の問題からやや関心が離れつつあったので、『ユダヤ人の起源』も未読でしたし、この講演会も本当に何となく予約しただけだったのですが、サンド氏の話は非常に面白く、グイグイ引き込まれました。残念だったのは、サンド氏がかなりの早口であるのにも拘らず、同時通訳が一人しかおらず、またその方に能力的にもやや難があって、話のポイントを通訳し落としていたことでした。費用の問題もあったのかもしれませんが、どうにかならなかったのでしょうかね。

 翌12日(土)の午後は、南新宿のカタログハウス本社で行われた、鎌仲ひとみ監督の最新作『ミツバチの羽音と地球の回転』(2010年、グループ現代)を観に行ってきました。

 http://888earth.net/index.html

 本当は早めに起きて食料品の買い出しを済ませ、昼食をとってから行く予定が、寝坊してしまい、大慌てでレトルトカレーをかき込んで家を出る羽目に…。この日から本格的な夏日になり、会場まで早足で歩いていっただけでもう汗だく…。

 舞台の一つは、山口県熊毛郡上関町祝島。漁業、農業(枇杷が有名)、観光で生計を立てる島の住民の大多数が、対岸の田浦で進められている、上関原子力発電所の建設計画に強く反対している。オレンジ輸入の自由化で、それまで島の農業を支えていた蜜柑栽培が廃れてしまったせいで、多くの住民が島から転出し(恐らく田浦の原発建設計画で将来への希望を失った人々もいただろう)、高齢化が進んでしまったが、枇杷の無農薬栽培や環境に配慮した養豚に生き甲斐と将来性を見出して島に戻って来る、若者や中高年も増えている。

 海産物や枇杷茶のネット通販などで生計を立てている、三十代の男性を中心に、漁業や農業に携わる島の人々の平和でゆったりとした日常生活が描かれる。

 他方で、週一回行われる、原発反対のデモの様子や、原発受け容れを決める上関町町議会を取り囲み激しく抗議する光景、スナメリ等貴重な生物への破壊的影響を危惧する研究者へのインタヴュー、埋め立て工事を強行しようとする中国電力に対する身体を張った抗議活動などの様子も映し出される。

 島民が莫大な数の反対署名を持って、経済産業省の担当者と掛け合うシーンもあった。恐らく僕とそう違わない経済産業省の担当者は、中国電力の現場職員の言動に非があることは認めながらも、原発の建設計画の撤回には一切応じようとしない(そもそも彼個人にそのような権限はないはずなので、仕方が無いのだが…)。政権が代わっても民主党は自民党以上の原発推進派なので、この問題に関しては、状況は全く変わらないと言うより、悪化しているようだ。

 もう一つの舞台がスウェーデン。南米で石油のために殺し合いが行われているという実情にショックを受けて、太陽光発電で作られた電気を使った車しか使わないことにした男性や、街全体で最先端のテクノロジーを利用して自然エネルギーの生産と使用に努め、省力化、雇用の確保、生産品への付加価値などを同時に実現した街の様子が紹介される。印象的なのが自然エネルギーの利用やエネルギー使用量の削減が、新たなビジネスチャンスと雇用も生んでいる様子である。

 同国では大学まで留学生も含め学費は無料で、中学か高校までは昼食も無料だという。この盤石の生活保障の上で、同国の国民は、世界に先駆けて未来の持続可能な世界を実現しようと決意し、実際に向かっている。1980年代には、1.石油のような地下資源を使わない、2.化学物質を作らない、3.自然環境を壊さない、4.人間の幸福へのニーズを妨げないことをモットーにして冊子を作成し、全世帯に配布したという。

 未だに原発を上からごり押し的に過疎地域に押し付けようとする日本とは対照的に、国全体で環境は勿論社会正義の面でも持続可能な、公正で豊かな民主主義社会を実現しようというスウェーデンの様子が非常に印象的だった。実際にワタミのような企業が公教育の反動化に組すると同時に、有機農業にも関わっていることからも分かるように、環境の持続可能性の追求は、必ずしも民主主義や社会的公正と結び付かない。しかしスウェーデンでは例えば各家庭が電力の購入先を自由に決定出来るというような、以前の社会国家の時代の上からの半強制的なユニバーサルサービスの実現とは対極的な、国民の選択肢の拡大という形での民主主義の拡張が、環境の持続可能性の追求と結び付いているようだ。なぜ日本では小中学校の学校選択制は導入されても、自然エネルギーだけを使うという選択は出来ないのだろうか。
 
 スウェーデンは問題を川上つまり原因から解決しようとするが、日本は川下で、すなわち問題が実際に起こってから対症療法的に対処するだけだと、両者を比較して、鎌仲監督は述べていた。

 他方で、貧困から解放され、一定レヴェル以上の生活が保障されていなければ、本当の意味で未来志向の理性的な決定を人々が下し実行することが出来ないことも、スウェーデンと日本の現状から明らかであるように思う。勿論、この貧困からの解放が、原発によって行われるとは私には思われない。

 鎌仲監督が上映後のトークで強調していたのは、本作では単にスウェーデンを理想郷として描いたのではなく、同国と祝島を共に日本が未来において目指すべき社会の在り方として紹介したのだという。

 その後研究会があったので、監督との質疑応答を待たずに退出せざるを得なかったけれども、作品も監督のトークも非常に興味深かったし、いろいろと考えさせられました。そのせいか、夜の研究会での報告もスムーズに出来、終わった後友人とも充実した議論をすることが出来ました。

 深夜帰宅後、シャワーを浴びてから、丹波ワインの微炭酸&低アルコールのワインを呑みながら食事。翌日は夕方まで寝倒れてしまいましたが、本当に有意義な二日間でした。

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知世(Chise)

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