前衛ギタリストであるアラン・リクトの脳内に、毛細血管の如く多岐に渡って張り巡らされた、精緻で雄大な「サウンドアートの地図」を克明に記したものが本書である。明確な定義がなく、未だ多くに膾炙されていない「サウンドアート」という不透明かつ不思議なシニフィアンを持つ、この言葉を前に、読み手である我々は決して臆する必要はない。その連綿と続く広大な「サウンド」と「アート」の道程を、我々は本書を手にすることにより、または、自らの「眼」と「耳」に対し等価に訴え掛けることにより、その変遷と系譜を辿ることができる。歩を続ける中で我々は、絶え間なく不可視から可視、潜在から顕在を可能にし、カクテルパーティ効果(音声の選択的聴取)を無効にし、可聴域を広げ、無との交感、沈黙との対話、意識の解体及び脱構築を余儀なくされるだろう。『つぶれかかった右目のために』(1968)での松本俊夫監督のマルチ・プロジェクションを導入した実験的映像と秋山邦晴氏によるコラージュ音楽により前衛への誘発及び洗礼を受けた私は、読者の多くが私同様に本書読了後、閉塞された状況から脱し、あらゆる環境下で「音」を網膜の中心部で捉え、鼓膜の最深部で咀嚼と反芻を自ずと繰り返すことになるだろうと思う。