(STORY)
60年代の人気テレビ番組「わんぱくフリッパー」で調教師兼俳優として活躍したリック・オバリーは、現在、イルカ解放運動の最前線で活動している。自分が無知だったせいで、イルカがビジネスの道具になってしまったと気づいた彼は、その後立場を変え、30年以上イルカを救うことをライフワークとして生きてきた。ある入り江でイルカ漁が行われている事に気付いた彼は、なんとかそれを止めようと、和歌山県の太地町までやって来る。そこは、400年にわたる捕鯨の歴史を持つ、クジラとイルカで栄えてきた町だった。オバリーの情熱に導かれ、イルカ保護に共感するスタッフが続々と海を渡り集結する。事実を明らかにするため、入り江の撮影を敢行しようとする彼らだが、関係者の妨害に遭い入り江の内側に全く入れない。ある日の深夜、彼らは入り江に隠しカメラを仕掛けることに成功する。そこでカメラが見たものは…。
(以上チラシより抜粋)
今年のアカデミー賞ドキュメンタリー部門をはじめ、数々の受賞をしている作品でもあり、日本人として知っておくべきイルカ漁の実態を映した作品である、ということで、これは観なくてはならない、と感じ、試写会に行ってきた。
まず、日本でイルカを食用として漁が行われていることは、かつて小学生の時分に学校で放映された映画で観て、知っていた。
その作品では、イルカはウインナーにされてしまう、という内容で、子供たちが洞窟に隠したイルカをどうにかして大人たちに気付かれないように、自然に返そうという作品で会ったような記憶がある。
確かに、水族館などでショーを見せてくれ、高い知能と運動能力、そして愛らしさをふるまってくれるイルカを食用にしている、というのは残酷に聞こえるのは事実だ。
イルカを食用にするために漁が行われており、実際食用として販売されている地域があることを知らない日本人が多いのも事実であろう。
この作品では、ドキュメンタリーとして、どこまでイルカ漁が残酷なものであるのかを客観的にとらえていること、何故イルカ漁は止めるべきものであるのかを論理的に実証していること、単なる反捕鯨運動の一環ではなく、自然環境面や様々な観点から、ドキュメンタリーとして捕鯨やイルカ漁の問題点を突いていることを期待していた。
が、結論から言ってしまうと、この作品は単に反捕鯨運動の一環に過ぎず、あまりに偏見に満ちた観点からのみ問題が論じられており、数々の問題点を挙げてはいるものの、論理性や立証性に欠陥があることは否めない映画であった。
まず、この映画の優れているところ、我々も考えなければいけないところを挙げてみよう。
イルカ漁の残虐性、これは事実として受け止めなければならないだろう。
追い込み漁によって捕獲されたイルカのうち、ショービジネス等で使われることになったイルカは高値で売買され、生きたまま世界各地の水族館等に運ばれていくが、残ったイルカは人目に付かない入り江で、銛で何度となく突かれて血まみれになって殺される。
隠しカメラで撮影した映像で、入り江の海がイルカの血で真っ赤に染まるシーンは衝撃的なものである。
水産庁が発表している、イルカの苦しみを少しでも和らげるための即死処置が施されていない現実はあり得るのかもしれない。
カメラが入ることを許さず、関係者のみの手によって、関係者のみしか見えない場所で、実態を公表することなく行われているイルカの処分状況については、我々日本人としても疑問を持っておく必要があるのかもしれない。
なぜ、公表できないような状況があるのか、と。
この映画では、スパイ映画、サスペンス映画さながらの実況中継が行われており、必死の隠しカメラ設置の様子等が全て記録されており、そういう面での苦労、実態を明らかにしようとする探究心の深さ、地元警察に嘘をついてみたり、尾行する漁師や警察の車を巻くために陽動作戦を実施するなど、撮影のためにとった手段の数々は、褒められたものではないにしろ、撮影側の根気と執念は感じられる。
ここまでしても、この問題を解決したい、そういう意図は強く感じられた。
だが、しかし、優れている面はここまでだろう。
一方で、この作品について疑問に思うところ、問題点は数多い。
まず、リック・オバリー氏は、全てのイルカの解放を求め、自国でも網を切ってイルカを自然に返そうとしたり、世界各地で人工飼育下にあったイルカの解放運動を続けているようであるが、果たして一旦人の手を入れて人工飼育していたイルカを解放して、そのイルカは自然界で無事に生きていくことができるのだろうか?
また、生態系に及ぼす影響は全くないのであろうか?
そこが全く触れられていない。
ただ、イルカは知的で、ひょっとしたら人間より優れた知能の持ち主かもしれない、そして自然界では猛スピードで1日65kmは移動する生き物なのだから、小さな水槽で胃薬を与えてストレスによる胃潰瘍を回避しながらまで飼って、ショーなどの見世物に使うのは間違っている、と説くが、そのような話をするのであれば、イルカだけにターゲットを絞るのは間違っているだろう。
地上生物であるチンパンジーやオランウータンをはじめとする知的生物についても同じような活動をすべきであろうし、知性をどのレベルで判断して区別するのか、哺乳類だけを保護するという主張をするのかどうか、その辺には全く触れられていない。
あくまで、彼らが主張するのはイルカだけである(後半には捕鯨そのものへの反対を明確にしているが)。
水族館、動物園、あらゆる生き物を自然界から捕獲して見世物にしている現在、実際に水族館や動物園に行き、それらの生物の生態を観ることは非常に勉強になる側面も持ち合わせており、子供達の興味を惹きつけるからこそ、逆に自然を守り、動物たちを守る大切さを学べる面だってあるはずである。
ショーを見せてくれるイルカがいるから、彼らの知性の高さを知り、親近感を覚え、いつか大自然の中で生きるイルカたちと共に泳ぐことを子供たちは夢見るのである。
何も知らず、テレビで自然に泳ぐイルカを観ているだけでは、子供たちの興味はほとんど惹くことができず、自然の大切さ、と説いてもピンとこないのではないだろうか?
確かに、捕獲方法や、自然界から人間の手であらゆる動物たちを檻の中、水槽の中に入れてしまって、少なからず自然破壊をしていることは、決して許される行為ではないのかもしれないが、絶滅危惧種を守り、研究するために必要な行為になることもあり、一筋縄ではいかない難しい問題だ。
イルカの解放の問題だけではなく、彼らはイルカ漁を知らない日本人が多い中で、一部地域でしか行われていないイルカ漁はもはや文化とも伝統とも呼べない、と言う。
しかし、一部地域で長年継続されている事実がある以上、それは地域特有の文化であり、間違いなく伝統であろう。
彼らの本国にも、彼らの祖先が居住地を狭く追いやった原住民族が、一部地域で狭く細く受け継いでいる文化や伝統があるのが何よりの証拠でないか。
また、イルカ肉の水銀含有量の問題が取り沙汰されていたが、この点については、どこで採取したイルカのどの部分の肉に付いて、含有量を調べたのか、その結果値が述べられているだけであり、売ってた地域が太地町であるとも何とも触れられていない。数値に付いても、実際に計ったデータを明示するのではなく、検査している様子と数値が発表されているだけ。これでは、信頼に欠けると言わざるを得ないだろう。
実際問題、日本でも既にイルカ肉の水銀含有量はそれ相応に高いものであることは発表されており、何年か前からは売買されることも少なくなっているはずである。
それを、実際には『クジラ肉』として偽装して売っている、と主張し、全国で200のサンプルを採ってDNAを調べた、と言うのであるが、その実態は不明であり、偽装販売が行われているかどうかは想像するしかない。
まぁ、食品に関する偽装問題は、近年様々な商品で問題になっており、これは実際殺処分したイルカの行き先を日本政府や太地町も明らかにしていないので、偽装販売されている可能性はあるのかもしれない、と個人的には思うが。
次に、この映画では、日本人が食す小魚がイルカによって大量に食されるので、害獣として処分せざるを得ない場面もあることを、IWCの会議の場で発表しているのに対し、実際には人間が、映像としては築地市場の映像が一方的に使われており、暗に日本人が際限なく海産資源を搾取し続けた結果であり、イルカは関係ない、と示唆している。
が、捕鯨の制限によるハクジラの増加、イルカの増加と反比例する漁獲高のグラフが示されているのに対し、実際に日本が無駄に海産資源を搾取してきたことを示すデータや事実は述べられていない。
一方で、捕鯨・イルカの問題だけでなく、暗にマグロについても(水銀含有量の問題にも絡めて)漁に反対するような映像を作り上げている。
簡単に言えば、日本の食文化を思いっきり否定しているにすぎない。
自国の食文化や猟の文化は全く触れずに!
これは、幾らなんでもやりすぎ、誇張し過ぎだろうとしか思えなかった。
マグロ等の魚を主食とする大型魚の水銀含有量は、数年前日本でも話題に上がり、妊婦等は避けるべき、というのは、今や常識となっているし、毎年漁獲高が落ちていることも問題視しており、養殖等の対策を取りつつあることでもあるし、他方、小型魚を一網打尽にする底引き網による漁を中国が活発化させており、中国の漁獲高が膨大に膨れ上がっていることや、マグロ等についても中国の消費量が激増している事には触れられていない。
あくまで日本についてのみ、である。
ちなみに、イルカ漁についても、世界の何箇所かで追い込み漁は実施されているが、まぁ、最大規模ということで致し方ないのかもしれないが、取り上げられているのは和歌山の太地町だけである。
更に、捕鯨問題についても反対の立場を明確にしており、理由は明白にはされていないが、シー・シェパードの船長らのインタビューも交えながら、日本を批判する。
理由は、強いて挙げればクジラの知性の高さや、絶滅危惧種がいる、という点なのであろうが、ここで映画内では、日本がカリブ海諸国を買収して捕鯨賛成の票集めをしている、と批判しているのであるが、実際に日本が助成金を出した施設等、特に現在使用されていない施設等を映し出し、あくまで恰好を付けるためだけの補助で役にも立っていないにもかかわらず、カリブ諸国は補助金欲しさに日本に票を入れている、とする。
が、確かに捕鯨やクジラに関して不知なカリブ諸国のIWC役員のインタビューはそれらしく挿入されているが、日本が買収しているなんて証拠は一切示されておらず、金のために賛成している事を示す事実は何も根拠がない中で、それっぽく演出しているのである。
この作品、問題点を語り出せばキリがないので、これくらいにしておくが、ここまでくるともはや現実をありのままに映し出したドキュメンタリーとは言えず、反捕鯨・反イルカ漁のための一方的な主張映画、言うなればプロパガンダであろう。
この映画を広く公開し、観ることにより、特に欧米人には、反捕鯨・反イルカ漁の気運が高まり、改めて反対活動が活発化することは間違いないだろう。
そして、欧米人から日本人の食文化に対して、野蛮である、といったレッテルが貼られることもおそらく間違いないだろう。
大量の牛や羊、豚といった哺乳類、そして鶏を食し、鹿などの動物を趣味でハンティングして首を壁に飾るような民族であるにもかかわらず、自分たちが食さない動物を日本人が食すからと言って、野蛮扱い。。。
結局、彼らには他文化、他国の食文化を理解しようという思いはないのだろう。
この映画を作ったアメリカ人たちが、ジュゴンの住む辺野古の海を埋め立てて、基地を新調しようとしているのだから皮肉なものだ。
反対している団体はあるようだが、あくまでマイナー勢力に過ぎず、この映画を観て反捕鯨・反イルカ漁の活動に目覚める人々の数とは比べ物にならないだろう。
自分勝手なものである。
映画に対して、かなり批判的な意見になってしまうところもあったが、一方で、日本政府、太地町としてもこの作品を重く受け止め、しっかりと反論しなくてはならないのも事実だと思う。
まずは、公表できないような事実があるのだとすれば、それは政府が問題視し、直ちに国民に公表すべきである、ということ。
漁の実態然り、鯨肉偽装問題然り。
日本政府として調査して、この映画に対して抗議するのであれば、それなりのデータを基に、実態を明確化した上で、対抗していく必要があるだろう。
映画が一方的かつ理論的に欠如している部分があるからこそ、今までのような弱い正統性の主張をするのではなく、データや実態に基づく反論が求められる。
また、水産庁が指示している即死処分が行われず、昔ながらの銛突きによる虐殺が行われていた現実は重く受け止め、キチンと指導すべきところは指導すべきだろう。
見てないふりをすることは、今後国際的にも許されなくなり、他の問題にまで引っ張られる恐れがある。
日本の食文化を守る上で、イルカはともかく、捕鯨は当面続けたいところでもあろうから、調査捕鯨のみが許されるようになってから、クジラの数がどれくらい増えているのか、日本が積極的に調査を実施し、捕鯨が許される範囲というものも実態に合わせて調整していかなければならないだろう。
また、イルカ漁に関しては、日本政府が把握しているデータと、この作品で発表されているデータに大きな隔たりがある。
事実はどうなのか、日本政府、水産庁は、太地町におけるイルカ漁の実態をキチンと調査、管理し、限度を超えた漁が行われていないことを実証する必要があるだろう。
以上、長々とまとまりのない文章になってしまったが、それだけ多くを感じ、多くを考えさせられた作品であったのは確かである。
単なる反捕鯨・反イルカ漁のプロパガンダに終わることなく、これを機に、事実やデータを基にした捕鯨問題・イルカ漁問題に関する世界レベルの議論が活性化し、また、大きな枠で考えると、自然保護、環境保護についての問題に関しても世界レベルで早急に議論がなされ、美しい地球を次世代に、いや、もっと先の世代まで受け継ぐことができるようになることを望むのみである。