おともだち(といっていいのかな)のともこさんがパツキンなことについて書きます。
だいたいわたしはひとのことを覚えられません。ともこさんについて覚えていることといったら、はじめて会ったときにそこにいた女子のなかでいちばん高いヒールを履いていたことくらいです。だからいつもメッセンジャーでおはなししているとき、わたしのなかでともこさんはいろんな髪型をしています。さいきんはめっきり黒くてかたいくせ毛を気にしてかたいみつあみを結っているのですが、どうしてかというのはおともだち(といっていいのかな)なので伏せる。だからパツキンについて書きます。
このあいだ、ある話題についてはなしていたら、ともこさんははっきりと「それはきらい」といいきりました。パツキンが見えた。「ヴァージン・スーサイズ」の女の子たちのもつパツキンです。ながくてさらさらで風にゆれている。教養と含羞をもつ女子がそれを飛び越えて野蛮をみせるとき、わたしはぞくぞくします。それはばかな男子が「女の子の感性っていうものに、ぼくはまったくもって参っちゃうんだなあ!」っていうのとはぜんぜんちがうよ。感性という、ぽやぽやした綿菓子でなくて、それはくちにいれるとつめたい氷砂糖のようなものだよ。わたしにとって野蛮のすききらいの積み重ねでできた女子文化こそがサブカルじゃねーべかと、今日もともこさんのパツキンをうっとりと思うのです。
余談ですがわたしのいまの髪型を書いておくと、笑い飯の西田です。髪、切ろう……(これはあらゆる意味で暗喩ではなく)。