2008-03-19

「おいしいコーヒーの真実」クロスレビュー このエントリーを含むはてなブックマーク 

おいしいコーヒーを、できれば毎日飲みたい。
美味しいコーヒーが飲めないのはイヤだ。積極的にすごくイヤ。

そのためにボクがしていること。
近所にある焙煎所で好みの豆を買いその場で焙煎してもらう。
出かけた時に美味しそうなコーヒーが売ってたら試してみる。
密封できるガラス容器に豆を保管しておくこと。
飲む直前に豆を挽くこと。
手でザリザリ回すコーヒーミルのあの感触が好きなのです実は。

 まあ、正直言えば面倒くさい時もあるので、すでに挽いてある「粉」も買って用意してあるし、忙しい時はネスカフェだって悪くない。

 そんな日々ではあるけれど、コーヒー豆の産地のことや生産者のことなんて、今までほとんど考えたこともなかった。袋に書いてある産地をみて、ははあ、ブラジルね、とかコロンビアね、とか、まあ、そんな程度だ。ちなみに、今ストックしてあるコーヒー豆の産地をみたら、インドネシアでした。

 「おいしいコーヒーの真実」という映画は、ボクが、みんなが愉しんでいるそのコーヒー、コーヒー豆の産地であるエチオピアでの現状(というか惨状)を淡々と描いている、いわゆるドキュメンタリーである。
 
 もちろんドキュメンタリーとはいえ、恣意的な部分は多少あるだろう。しかし生産者であるエチオピアの人たちだけでなく、流通を手がける中間業者や販売者、そして消費者への取材も交互に織り交ぜて、徹底して、むしろ冷徹と言えるほど淡々と、あくまでも第三者として現状をカメラに収めてゆく。

 そうすることで徐々に「真実」というのが見えてくる。というスタイルをこの映画は採用している。そんな理屈はともあれ、この「おいしいコーヒーの真実」という映画は、ドキュメンタリーとして、というよりも、単純に映画として「とてもよく出来ている」と思う。
 
 ナレーションひとつなく、特に効果音も使わず、環境音や話しているコトバだけで淡々と、徹底的に、ストイックに約80分。ストーリー仕立てでもなく、真実を淡々と描いてゆく。ヘタすりゃ飽きるか退屈しそうな題材の「ドキュメンタリー」を、飽きる事なく観せてしまうその手腕にはウナらされる。料理で言えば、素材の良さをフルに活かした、そう、刺し身とかそんな感じ。手を加えるのは最小限だが、その加えた手心がとても重要、みたいな。
  
 素材の良さ、というのは、すなわちエチオピアの生産者組合の幹部、イリー社(エスプレッソで有名なイタリアの会社だ)の創業社、シアトルのスターバックスの店長、数十人を超える登場するすべての人たちがいい味を出している、ということ。たとえカメラの前で意識してしゃべっていても、つい出てくる本音の部分、本音の表情、いわゆる「素」の部分からにじみ出る味わいは隠せない。カメラってこう言うのを馬鹿正直に撮ってしまうののなんだろう。
 
 そうして見えてくるのは、結局、生産者も、組合も、流通業者も、販売者も、みんな自分勝手に自分の主張をしているに過ぎない、ということ。ある立場のものは自立するために。ある立場のものは利益を得るために。また、ある立場のものは美味しいコーヒーを届けるために。

 幸いなことに、この映画は「だからどうしろ」とか、「だからこうしようね」なんて余計なお節介をほとんどしてくれない。唯一「フェアトレード」という言葉をヒントとして提出しているだけだ。あとは観た人自分で考えろよ、と、突き放してくれる。

 フェアトレード、すなわち、どの立場からも適正な価格であれば、みんなは少しづつハッピーになれる、という考え方なのだろうが(ちがってるかもしれないけど、そう思った)、ボクは正直、消費者の立場なので美味しいコーヒーを飲むことが出来ればそれでいい。もちろん値段は安いに越したことはないが、安過ぎるのもアヤしいしね。適正な価格であれば、それが満足である。高くても、その値段に見合った美味さであれば、みんな満足するものなのだ。

 ただひとつ、これからコーヒーを買う時に、パッケージに書かれている生産国、生産地を確認してみようとは思う。「おいしいコーヒーの真実」を見終わった後、そう思う。観る前とは、ちょっとだけボクは変った様な気がする。
 知るのと知らないのではちょっと違う。

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