映画のタイトル『モダンライフ』から今流行の「ロハス」とか「スローライフ」など耳あたりの良い言葉をイメージしたらそれは大きな間違いだ。この映画に紹介されている農民の生活は超時代的で普遍的であり、流行りの言葉で言うならユニバーサルスタンダードな人間の営みが等身大に描かれている。ドゥパルドン監督の目を通して見たままの人々が日常生活のひとコマをさりげなくさらしている映画だ。
と言ってもこの映画は農民へのオマージュでもないし、ファンタジーでもない。観た人がそれを一方的に感じるとしたら、それまでは否定しないが、ドゥパルドン監督の目は非常に写実的である。余計な演出がない代わりに、生き物相手の農作業の労苦と、その結実(暮らしぶり)を掛け値無しに映し出し、田舎への生半可な憧れなど初めからピシャリと撥ねつけている。東京の清濁を呑込んで生活している私は、「無駄」や「遊び」をとことん削り取ったストイックな農村の現実に打ちのめされ、舌を巻いて退散するしかなさそうだ。
しかし一方で、たとえば煩雑で猥雑な社会に暮らす都会人がこの映画を見ると、全く別世界のお話に見えるには違いないのだが、それでも中で語られている話題は、東京のサラリーマン家庭であろうと南仏の農家であろうとそれほど違わないことに気づかされるのだ。
つまり年寄りは頑固で、世代間にはきしみがあり、若者は将来に不安を持ちながらも子供を生んで家庭を築き、人間万事塞翁が馬、なんとかなるだろうと前向きで、そしてみんな自分の持ち場を真面目に生きている。特に善人でもなければ悪人でもない人々。生活形態が自分のいる世界とこれほど違っても、時代がモダンからポストモダンに移り変わっても、人間っておおよそいつもこんなもんなんだろうなと、自然に納得して、どこか安心する。
そう、人間の本質は科学技術の進歩で淘汰されるものではない、と当たり前のことを思い出させてくれる映画なのだ。