2010-04-26

優れたドキュメンタリー映画を観る会公開前夜祭他 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 先週は本当に信じられない程寒かったですけど、土曜から少なくとも日中は随分と暖かくなりました。

 先週金曜日の夜は、安価で音楽も聴けるので、ここ五六年いつも行っている、優れたドキュメンタリー映画を観る会公開前夜祭に行って来ました。会場はよく行く近所の二番館下高井戸シネマ。

 雨で劇寒だったにも拘らず、八割方の入り。年輩者が多いのは相変わらずですが、僕の隣や後にはお香の香りのする、個性的で元気な若い女性グループも(どうやら↓のミニライヴ目当ての、近くのフラメンコ教室に通っている人達のようでした)。

 最初は恒例のミニライヴ。今年は瀧本正信さんとそのお知り合いの男性ダンサー四人によるフラメンコでした。

 http://cartero.moo.jp/index.html

 瀧本さんは関西弁でのユーモラスなおしゃべりと日本人離れした濃い容貌&雰囲気が、印象的。フラメンコを聴くのは初めてだったのですが、目を瞑って耳を傾けていると、何か中近東〜北アフリカの詠唱を聴いているみたい。スペイン語は全く分からないのですが、演歌ならぬ艶歌という感じの、情念の歌だったのでしょうか。

 続いて映画上映。とは言え今回上映されたのは、昨年NHKでNHKハイビジョン特集「東京モダン」(外国人監督による現代日本のドキュメンタリー映像の集合体のよう)の一つとして放送され、山形ドキュメンタリー映画祭でも放映された、ドキュメンタリー番組『ナオキ』(英語題名“Japan. A Story of Love and Hate”、イギリス・日本、英語・日本語、2009年)でした。

 http://www.yidff.net/archives/208.html
 
 http://www.yidff.jp/2009/ic/09ic08.html

 主人公は、五十代で郵便局での保険料集金を担当するアルバイト職員として働く、山形市在住のナオキ。若い頃は学生運動に参加し、その後横浜市職員を経て、バブル期には会社経営者として羽振りのよい生活をしていたが、その後経済的に破綻して全てを失い、路上生活やむなしのギリギリのところで、現在同棲している二十九歳の女性に「救われた」という。

 二人は山形市内の一間のアパートで暮らしている。彼女は昼は事務の仕事、夜はスナックで働いて、年収100万ちょっとのナオキに代わって、生計を支えている。

 しかし体力的にも厳しく、自分の父と同い年のナオキとの生活に希望が見出し難いせいか、彼女は睡眠薬や抗鬱剤を常時服用。お酒もかなり呑み、酔う度にナオキを詰り、100円ショップで購入している彼の老眼鏡を破壊してしまう。ナオキは最初は苦笑しているが、最後は声を荒げて、競争原理や業績原理を私生活にも持ち込む彼女を非難。彼女は泥酔して涙…。

 イギリス人監督によって、ナオキの職場の郵便局での軍隊調の管理体制(確か“economic militarism”とか呼ばれていた)や、世界第二の経済大国というふれこみにそぐわない、現代日本の「底辺層」の寄る辺なさと絶望が強調される。自助努力とか自立した個人とかいった新自由主義的なスローガンの惨たらしさよ…。

 末尾あたりで、険悪だったナオキと彼女の関係が、ナオキが意を決して、彼女の実家に挨拶に行くことで、好転したのが希望か。保守的で峻厳だと言われていた彼女の父が、イギリス人監督にバイアグラを所望していたのも微笑ましい。

 上映終了後「主人公」ナオキさん達によるトークショー。ナオキさんは、会場の多勢を占める年輩者からの、的外れのコメントや批判にも腹を立てることなく対応していた。上記のホームページでの彼自身の書き込みを観れば分かるように、かなりさばけた、そして頭のいい人みたい。また二人の別れは回避されたようで、彼女も一緒に上京して会場に来ていたのは喜ばしい。

 
 行き同様帰りも小雨の降る中ウォーキングで帰宅。

 次の日僕と同じく貧乏研究者であるにも拘らず、結婚し小さなお子さんもいる友人に、この『ナオキ』の話をしたら、「実際に自分が観たら身につまされて泣いてしまうかも」と言っていたのが印象に残りました。

 しかし、現代日本を、とりわけ僕も含めた「底辺層」を覆う閉塞感を、どうしたらいいんでしょうかねえ…。他方で運良くフルタイムの職に就けたら就けたで、早朝から深夜まで、また休日まで仕事という…。どっかオカしいんですよ、やっぱ、この国は。

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知世(Chise)

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