「あなたはまだ馬に遠慮しているところがあるのよ。そこがいけないわ。馬ってものは一度増長させたら癖馬になってしまうの。こっちのほうが強くて偉いんだということを馬にのみこませるまでは、徹底的に責めつけなくちゃ。あなたはまだ、そう思ってはいても、鞭や拍車を使うのが何だか、かわいそうで、同情を感じちゃって。馬に同情するのは調教に禁物よ。だいたい同情ってものは、自分の同類に対して持つものだわ。家畜に同情するなんておかしいわよ。」
この物語の主人公、クララ・ファン・コドヴィッツと瀬部鱗一郎のカップルの登場シーン、絶妙に配置されたコマ割りがされた見開きで、クララが鱗一郎にこう語ります。
Web愛好者もまだまだ少数派で今では最早時代遅れとなってしまった感もある「ネットサーフィン」なる言葉が囁かれはじめたインターネット黎明期、スウィフトの『ガリバー旅行記』に登場する人間に酷似した種の名を名乗る「Yahoo!」が颯爽と登場しました。
『ガリバー旅行記』は皆さんも子供の頃図書館で読まれたことがあると思いますが、皆さんもご存じのように子供向けのものはかなり脚色され、スカトロジー紛いの品のないくだりが割愛されているだけではなく、ガリバーの旅は「小人の国」と「巨人の国」で終わってしまいます。
実はガリバーはその後も旅に巻き込まれ、「空飛ぶラピュタの国」や 「降霊の国」「不死の国」「日本」、そして「馬の国」を訪れるんですよね。
なかでもスウィフトの真骨頂は「馬の国」にあります。その国は崇高で高い知能を持ったフウイヌムという馬に似た生物が統治していて、家畜でもある喧嘩好きで凶暴なヤフーという人間に似た生物に手を焼いているのです。当初はガリバーもまたヤフーと見なされます。(ヤプーとみなされた鱗一郎とどこか似ていませんか?)
そんなわけですからカウンターカルチャーの申し子である「Yahoo!」が揶揄を込めて自らの名を選んだことにご理解いただけると思います。
馬の国では生殖を禁じられることとなるならず者の「ヤフー」が、ネット社会では 「Yahoo!」となったように、『奇譚クラブ』では沼正三の手により『家畜人ヤプー』となり、康康夫により都市出版社から刊行されます。
沼正三は謎の作家として登場し、多くの憶測(三島由紀夫=沼正三説まであったといいます)を呼びましたが、代理人として事にあたっていた天野哲夫が自ら沼正三であったことを晩年に告白しています。
その結果概ね片が付いたものの、三島由紀夫の同級生の元裁判官説や複数作家説などまだまだ邪推する向きは多いようです。
この辺り『Oの物語』(『O嬢の物語』)の作者ポーリーヌ・レアージュの正体は序文を寄せていたジャン・ポーランであるという説が有力であったにも拘らず、編集者のドミニク・オーリーが自らの表明によりポーリーヌ・レアージュ=ドミニク・オーリーであることがわかったこととを想起させます。実はマンディアルグ説やレーモン・クノー説もあったようです。とても面白いですよね。同様の混乱を狙ってか、かつて河出書房から『禁断叢書』といういかがわしいシリーズが出ていましたが、それぞれの作者の名は明かされたんでしょうか?
ちなみに寺山修司の映画『上海異人娼婦館チャイナ・ドール』の原作は『Oの物語』です。そしてまた『家畜人ヤプー』の匿名という構造はきっと寺山修司の好きな虚構のあり方であったと思います。
さて、冒頭の馬の調教シーンです。
『ガリバー旅行記』では馬がヤフーを飼育していましたが、『家畜人ヤプー』では馬を飼育する人間がまずクローズアップされます。「家畜に同情するなんておかしいわよ」と鱗一郎のその後を暗示する言葉を残しながら閉じられます。
コマの展開の間に設けられる「モノ」の説明の数々。「読心家具」「黒奴用真空便管」「肉便器」「三食摂食連鎖機構」「肉浴槽」「化粧肉椅子」・・・
有機物と無機物の境が曖昧な未来世界「イース」。願わくばイースの歴史や文化の紹介と事物たちの図録は作品のなかに埋め込まれることなく別刷であったならば、頁を捲る手が中断されることなく、もっと物語の速度を満喫できたことと思います。「彼は何になるのだろう?」で始まり「彼は何になるのだろう?」で閉じるこの物語のスピードを。
ところで、長谷川和彦が撮るとも噂されている映画『家畜人ヤプー』には大いに期待しています。
できれば、その名もヤプーズを率いる戸川純が『諦念プシガンガ』で歌ったような真性マゾヒズム作品を望みます。「あぁわれ一塊の肉塊なり」の如く。