ずっと以前から気になっていたのに、なかなか東京で見る機会のなかった、渡辺文樹監督の映画を、みてきた。
僕にとって、初めて接する渡辺作品は、『政治と暴力』の第一部「三島由紀夫」第二部「赤報隊」。この二つは、ひとつながりの作品で、合計約3時間半の大作である。烏山区民センターで上映。
結論を言うと、肉太の筆でスクリーンにたたきつけるように描かれた、至極真面目な、硬質のメッセージ映画であった。
渡辺監督は、現在57歳。僕は61歳なので、ほぼ同世代と言っていい。
同世代に、自力でコツコツと、こんなにパワーあふれる映画を作る人がいるとは、驚嘆しかない。
映画は、音声のみのナレーションがしばらく続き、突然、映画が始まる。タイトルは、ない。
ふつう、映画には題名やキャスト・スタッフのタイトルが出るのが常識とされているが、この映画では最後まで、それはなかった。
単に予算の関係なのかもしれないが、しかし考えてみれば自主上映を前提としているなら、事前にチラシやパンフレットが配られている。 だとしたら、タイトルロールなどは不必要、という考え方は、合理的かもしれない。
映画の内容は、壮大な戦後裏面史だ。
官僚、政治家、右翼、暴力団、銀行、公安、検察らが暗躍してきた、戦後日本の封殺されてきた側面を、映画はモノクロ画面で骨太につづる。出てくる俳優は、主演の渡辺文樹以外、見たことのない顔だ。しかしメインキャストは、ネットで検索してみると、それなりにキャリアのある俳優たちのようだ。
中には、素人っぽい人もいて、せりふがつっかえるようなシーンもあった。
そのシーンをみて、僕が思い出したのは、ピンク映画時代の若松孝二の映画だ。
若松の『現代性犯罪 絶叫篇』だったか、役者が台詞をとちって、言い直しているのを、そのまま使っていた。
そういえば、当時の若松の低予算ピンク映画では、アフレコの声と画面が合わないところや、画面の露出不足や過多など技術面の粗雑さが見られる場面もあった。
今回の渡辺文樹の映画にも、そういう部分が随所にみられたが、昔の若松映画同様、まったく気にならなかった。
むしろ、それらが不思議な魅力となって、こちらに伝わってくる。
それは、渡辺監督の、戦後日本への怒りのエネルギーが、スクリーンからあふれ出ているからであろう。
大きなショックを受けて帰路についたが、「やっぱり映画は、作家のエネルギーで決まる」と改めて思った。
渡辺監督の今後に、大いなる関心をもって注目していきたい。
(写真は当日の受付風景。受け付けは、渡辺監督の奥さまがやっているらしい)