2010-02-10

遂に輪郭が見えた! ~Joseph Nothing体感試聴会レビュー~ このエントリーを含むはてなブックマーク 

私がジョセフさんの音楽に出会ったのは6~7年前ぐらい。一番最初に聴いた2枚のアルバム「Dummy Variation」「Dreamland Idle Orchestra」は、私のイマジネーションをどこまでも開放してくれるものだった。
ファンタジックな旋律は未知の世界へ一気に意識を開き、その一方でポップなメロディは心を惹きつけてやまず。このぐしゃむしゃな世界の中で、軋轢や葛藤込みで生きている”生”な感触。天と地、聖と俗、美と醜…、相反するあらゆるものをいっしょくたにした土壌に足をつっこみながら、果てない宇宙を仰ぎみるような音楽。私は一聴ですぐにジョセフさんのファンになった。

トーク中でタカノ綾さんがおっしゃっていた言葉が、まさしく私がジョセフさんの音楽から感じる世界観で、それを借りて私なりに言い換えるなら、
「うわべだけコギレイに取り繕った美しさより、目に見えないもの、朽ちていくもの、なかったことにされてしまった、日常の中で蓋をされて見えづらくなっているケガレのようなもの、そうした全存在をひっくるめてこの世界を見たい」
私は世界への好奇心を奮い立たされ、サヴァイヴしていく力をもらう。

ジョセフさんはアメリカで生まれ、世界のいろんな都市を転々としたらしく、今まで、アメリカ生まれで日本人らしい、という基礎プロフィール以上の情報が長年更新されずにきた私のジョセフさん像が、この日の濃いぃトークと新しい音源によって、ようやく輪郭を帯び始めた。

ほとんど日本にいなかったジョセフさんにとっての原風景は、香港の九龍城やスクールバスからいつも見えた廃墟なのだという。
今回リリースされたシャンバラ・ナンバー2は、今までのジョセフさんの音楽の系譜を引き継いでいるが、ナンバー3ではまさしく廃墟病院などでフィールド・レコーディングされた素材のみで構築されたというから、3部作の完結編にきて、ジョセフさんは原風景のド真ん中に降り立ったのだ、と理解した。
フィールド・レコーディングによる素材(石をころがす、鉄板をたたく、枯葉をふむ…などなど)で構築された音は、ただの実験に終わらない響きと作りこみに驚かされた。もの言わぬ石やガレキの山が、ジョセフさんの手によって、何かを雄弁に語り始めたかのように。生々しく耳に迫り、より一層深い未知の世界の奥深くへ誘われるような音世界。これは聴くたびに想像をめぐらすことができる、驚きや発見に満ちた盤にちがいない。
廃墟のガレキの中で嬉々として音とたわむれる映像の中のジョセフさんは心底楽しそうで、退廃的すぎる背景なのに、やたら微笑ましく素敵な光景だった。

また、シャンバラや超常現象について語りだしたら止まらない勢いのジョセフさんが、アツくなるだけでなく「ググってみたらいろいろわかるけど、聴いてくれた人が勝手にいろいろ想像してくれれば」と付け加えたそのスタンスやオカルト観などを聞くことができたのも面白かった。
その中で、今回のシャンバラ・シリーズの着想が、タカノ綾さんが貸してくれた本がきっかけ、と話されていて、なるほど、そこからタカノさんのアートワークの力が加わることによって、ジョセフさんの作品の世界観がより強度を増し、今ここで私たちはジョセフさんの原風景を垣間みることができたのだ、と納得、再確認した一夜だった。無限に雪が舞い降りてくるかのような渋谷上空を仰ぎ見て帰路についた。

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kanasf

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