2010-02-09

Joseph Nothing 「Shambhala Number Two & Three」体感試聴会 このエントリーを含むはてなブックマーク 

Joseph Nothing 「Shambhala Number Two & Three」体感試聴会

渋谷は雪の夜だった。
けれど其れは生憎ではなく、正にこのイベントにぴったりの天候、
ではないかと思った。Joseph Nothingの「Shambhala」シリーズの
続編にして完結編の試聴会にこのコンディション、絶妙である。

天とリンクし、僕の心持ちは半ば既に秘境の何処かへ飛んでいた。
雪が晴れたら(会場を出たら)桃源が見えるのではないかって想い
を胸に会場へと足を踏み入れて行った。

「体感試聴会」の説明に在った様に、然るべき音響のシステム/
環境で音楽を今一度正しく聴く、というコンセプトを体現するか
の様に左右に、まるで塔の様に聳える高いスピーカータワー。

ほぼ時間通りに会場は埋まり、司会の方、そしてJoseph Nothing
さんご本人が登場していよいよスタート。僕の胸はただ高鳴った。

先ずはこの日の為だけに特別に編集したと云う新譜からの音の
ダイジェスト版に、アートディレクションをやったタカノ綾さん
が映像を付けたものが30分程流れてゆく。

Joseph Nothingらしい、ブレイクビーツに、美しく優雅で優しい
弦楽器が踊るゆったりめの曲、シンバル類が効果的に使われてる
スロウでたゆたう様な、何処か未知の世界へ入り込んで行く様な
曲、自然と身体のリズムが2/4を取ってしまう行進してゆく様で
ファニーでいて楽しいメロディ、何か素敵な事が起こる、今正に
起こってそうな、スクロールしてくる、空を飛んでいる様な未知
への探検をしている様な曲、ミドルテンポでファンキィ&ホラー
テイストのボイスサンプルがヒップで、背後のベースのチョップ
具合もまたいいアクセントになっていつつも相変わらず美しい上
モノ、ストリングスの曲(ラストの「再見」の声が素敵!あれで
終わるのが)、オルゴールが奏でている様なメランコリックかつ
温かい、懐かしい気持ちにさせてくれる、何か大切なものを慈し
む様な曲(鶏の鳴き声がツボ)、一拍目強拍で祭儀の時の音楽かの
様なリズム、裏に合いの手を入れたくなる。次第に重なるレイヤ
ーにてジワジワと、ミニマルにファンキィに盛り上がって来る曲
等、次々と素晴らしく心地よい至福のトラックが流れていた。

今回のダイジェスト版は、「Shambhala Number 3」の作り方が
シンセ等、既存の楽音を使用せず、自然から採取したもののみで
構成されている事から、それに至るまでの流れを考えてゆったり
めの曲のみでつないでみたとの事。

確かに終わってみた時の感想として、その流れは非常にスムーズ。
そしてそれは司会の方もおっしゃっていた様に、Joseph Nothing
さんならではのガジェット感、宇宙感/観に満ちていて、更にそれ
にタカノ綾さんのそれを深いレベルでシェアした映像がマッシュ
アップされて生命力に満ちていた。今回のVTRは他の映像作家から
の(例えばスパイク・ジョーンズ)ものを合わせたりと、この日の
為だけの、って事だったけど、今後の様々な可能性を其処に見た。

楽音に関して、それら自然からリッピングした楽音は、具体的に
は廃墟や公園から獲得してきたもので、所要時間で云えば丸々三
年間、サンプルの数で云えば実に何万と云える程の膨大な量に上
ったと云う。それを気が遠くなる様な、まるで修行の様な厳選作
業にて決めてゆき、それを更に執拗なエディットを組み上げてい
ったのだと云う事。妥協を許さない表現者が何かを一から作り上
げると云う事の厳密さを垣間見た気がする途方もない情報だった。

しかもそれは単に採取してそれをドラムマシンのプログラムにて
通常やる様なグリッドに合わせて精緻に並列に配置すると云うの
ではなく、自然の持っているリズム感、溜め、グルーブを引き出
す為に、例えば石ころが転がる動力、パターン、リズムを出来る
だけそのままに使用しようとしたらしい。詰まり、ビートとして
それを使ってみると。更にそれを一時間と云うボリュームで作る
ってのがまた面白いし、中々無い機会なのではないかって。

これを聞いて僕が思い出したのは、以前、ススム・ヨコタさんが
ハウスのビートを作る時にコンピューターでアジャストするので
はなく、手打ちで直接入力して身体のタイミングで組み上げてい
たと云う話だった。彼もまた自然(生身の人間)のグルーブを採用
して少し違った気持ちよさを得て出して味わってみようとしてい
たのかもしれない。今振り返れば。今回のJoseph Nothingさんの
話を聞いて何か一つ忘れていた事を思い出した様な喜びを感じた。

司会の方が出した、そうした自然の音の中に在るグルーブ、粘り、
溜め等を引き出す、上手く組み込む採用するって云うのは狙って
出来る事なのか、との問いに彼は、自然とコラボする感じ、と答
えていたが、やはり憑依と云うか、そこまで次元として降りて行
くと云う事なんだと思う。それは一般的には不可視、または存在
確認が難しいとされる世界、事象への深い関心/関与が出来る彼
ならではの、言葉に込められたものが違う質のものではないかと。
自然と云う大きな存在、総体としての存在との共同作品、だと。

また、普通はフィールドレコーディングと云うとアンビエントな
ものを想像するかもしれないけど、そしてそれももちろん好きで
はあるけど、今の自分と云うフィルターを通してみたらどうなる
のか試してみたと云う事もおっしゃっていた。

そうした採取現場との出会い/発見としては、元々そうした志向/
嗜好があったので、そうしたサイトをよく見ていた中でいいロケ
ーションを発見していたのが今回の作品に特別な息吹を与えた様
で、それはやはり成るべきして成ったのだと想う。

その志向/嗜好は彼の帰国子女としての、幼少期に海外で過ごした
バックボーンの影響が強く、幼い頃のまだまっさらな脳で目の当
たりにして共感していたと云う香港の廃墟感に満ちた九龍城付近、
スクールバスで通っていたNYのブロンクス等が大切なリソースと
して残り続けていると云う事の様だ。 大阪の西成地区等、汚いと
云うよりは懐かしく、落ち着くのだと云っていた。原体験として、
いつか作品として出力したかったのだと。不可分の一部として。

しかしいつかそうしたものを出したいと思ってはいても、例えば
いきなしそうした石ころ音のをアルバム一枚分の分量でパッケー
ジして出すというのはやはり難しいから、今回のテーマ/機会が
必要であって、それに出会ったのが大きかったと。それは確かに。
やはり音とそのテーマと云うのはお互いに必要とし合うもので。

音の採取場の一つである近隣住民が恐れて近づかないという廃墟
では、深夜割れた窓から吹き込んでくる風がまるで人の泣き声の
用であったり、コンクリートの柱を棒で擦るものが、まるでそう
は聴こえなかったり、朽ち果てた病院にては大きい扉が閉まる音
等、公園では、踏みつけて出る枯葉の音等、それらの各ベストテ
イクを延々と追い求める様な、これまでとは違った制作プロセス
の体験だったと。こうしたディテールを聞けるのは大変に貴重。

僕は、以前の墓場をテーマにした作品が出た後くらいに既に廃院
フィールドレコーディングの話はされていたので、きっとその頃
既に今回の制作手法の萌芽は、そのほの暗い場所に在ったのだ。
しかし今回の突き詰め方はやはり彼にとっても新しいものだと。

「Shambhala Number 2」に関してはこれまでの作り方の延長上に
あったけれど、「Shambhala Number 3」はまた違うやり方で作ら
れているので、例えばヘッドフォンにて微細な音の粒等までよく
聴いてみてほしいと云っていた。それはとても拘りの部分で。

作品のテーマ/モチーフとしては、「Shambhala Number 1」がリリ
ースされたのが2007年、そして2004年~2005年までに「Number 2」
のかなりの部分も既に出来ていたのだと云う。しかし中々全体の
テーマとしては定まらなかったのだが、そんな時に京都で偶然に
して出会ったのがタカノ綾さんだったとのだと。彼女との出会い
は大きく、二人は元々各々、超常現象に関して深い関心を持って
いたので直ぐ意気投合し、本の貸し借りをしている時に彼女から
齎されたのがシャンバラに関するものだったのだと云う事だった。

そしてこの日は、制作に使用した貴重な資料を色々と用意して下
さっていて、様々な写真や絵がプロジェクターに映し出された。
先ず曲の直接の題材になっている、シャンバラについて。

シャンバラとは、チベットではダライ・ラマも実在すると云って
いて、ルーズベルト大統領も追い求めていて自分の自宅を想像上
のシャンバラライクにしてみたり、ナチスも探検隊を組織したり
と、時の権力者達もハマった、所謂「桃源郷」であると。そして
言い伝えではとても寒い地域にあるとされているらしい。

一つの写真が大きく映し出されたのだけど、それはとてもこの世
のものとは思えないもの。そして一見温暖な地域のものに見えて、
とてもではないけど寒い地域の山奥にあるものとは思えなかった。
でもそれはその通りでシャンバラとは別の次元、詰まり亜空間と
呼ばれる空間に在るのだと云う事だった。それは地下に在るけど
地球空洞論ではなく、亜空間だと。その写真は本当まるで時間も
空間も別世界に映った。イメージとしてはやはり大陸の何処か。

そして次の写真も何ら見た事がないもので、それは説明に拠ると
秘境中の秘境と云われ、中国政府も外国人には入らせない場所で、
シャンバラが在るのでは云われている処。それはアメリカのあの
グランドキャニオンよりも大きい渓谷で、かつては日本人も誰か
探検して亡くなっていると伝えられる処だそうな。

Joseph Nothingさんは、シャンバラを見る、シャンバラに遭遇、
辿り着く、入れるには条件と云うか素質の有無も在るのではない
だろうかと見ている。詰まりそうした精神性なり、周波数なり。

そうした人の例としてロシアのニコライ・レーリッヒと云う画家
/探検家を挙げていたけれど、この人はその手の話では結構著名
な人の様だった。彼のミュージアムはNYに在り、シャンバラに関
して多くの作品が残されていると。非常にそそられた話。

彼は1925年から五年間もシャンバラを追い求める旅に出ていて、
しかしその彼でもそこは秘境過ぎて、何とか入り口まで行ったか
いかないかと云う段階であったと伝えられている模様。

他にシャンバラの研究は当時のナチスも真剣に、機関まで設けて
やっていて、それは北欧神話を研究すねものでもあったらしい。

その機関の話より続いて、最近ブラックホールを作る実験をして
実際にノルウェー上空に、その手の渦巻きを作ってしまったと云
う、スイスにあるCERN(セルンと読む)=欧州合同原子核研究機関
の話へシフト。これは事件であり、本当にブラックホールを作っ
てしまった、次元を開いてしまったのではないかと、科学者達か
ら抗議や圧力が来てついには訴訟まで起こったとかで、これには
本当にびっくりした。向こうのニュースサイトでは動画も見れる
らしく、Joseph Nothingさんは、これは行き着く処まで行ったな
と感じたと。まさこれはに禁断の扉を開いてしまったのだと。

詰まりCERNは、公的な研究機関にも関わらずオカルトも入ってい
る非常にレアな変わった組織で、これは今後も注目していくと。

こうした情報が彼の日々の重要なリソースになっているのだと改
めて思った。こうした話はもう延々と続いていきそうな感じがし
て、僕自身もかつては雑誌「ムー」も欠かさず買っていたし、他
の、所謂「とんでも本」さえ買い漁っていたもので実は楽しくて
仕方が無かったのだ。時間が過ぎるのがもどかしく。彼も綾さん
といつもこうした話をしているらしい。きっと濃厚なのだろう。

そうするとやはり話は次はいよいよアメリカ、UFOの話に移行して
いく。NASAが発表している月や火星の写真にはやはりぼかしの様
なものが入ってると云う話、NASAの内部告発本、ディズニーはオ
ブラートに包んではいるが(例えば「ウォーリー」)、実は何か別
のメッセージとか要素を内包していると云う話、そしてついには
どうしたってロズウェルの話が。非常に盛り上がるトーク。

UFOの話では、一般的とされるアダムスキー型ではなく三角形の
ものの方が信憑性が高いのではないかと云う話で、それが今回の
アルバムのジャケットにもつながっていると。

ここら辺りでタカノ綾さんが登場。
Joseph Nothingさんと二人で廃墟に行って作品の為の動画を撮影
した時のお話を披露。この時に流れた曲は先の、最後に「再見!」
で終わる僕が特にとても気に行ったヒップでファンキィな曲。

そしてそのPV/映像作品は、Joseph Nothingさんのカットした髪
の毛を使用して顔/キャラクターの様にして、それがまた燃えて
しまうという凄いものだった。自らの髪の毛をそうして使ってし
まうなんて。切って捨ててしまうのも勿体ないから、との理由で
急遽決まったと云う事だったけど、とても美しくもやはり歪んだ、
独特の世界観。ファニィであり物悲しくもある。多面の方位。

現場の廃墟は、その建物自体は所有者が所謂、怖い人達、らしく、
また羽虫の様な小さい虫が何万と飛んでいて終始襲ってくる過酷
な環境で時間の猶予は大してなかったと。この話も面白かった。

でもまた今後もこうして、手作りと云うかDo It Yourselfなマイ
ンドで作っていきたいとの事でとても共感が出来た。可能な限り
は自分らでと云うのは、僕も日々イベントのオーガナイズをして
いる時に芯に想っている事だった。それはバカバカしい事も含め。

二人が廃墟の中にいる映像も映写されると、Joseph Nothingさん
の悦に入った表情がまた面白くて会場は時折笑いに包まれていた。

次にまた一枚の、今度は写真でなくて絵が映し出された。
それは何かとっても昔の物の様に見え、実際、江戸時代のもので
あるらしく、そこには楕円の船の様なものが描かれていて、名前
は「うつろ船」というらしい。そしてこれもまた今回のアルバム
の楽曲のタイトルの一つで、他にも「ロズウェル」とかそれぞれ
のタイトルは、Google等で検索すればその由来がヒットするらし
く、今後色々と調べてみるとより一層このアルバムが味わい深く
楽しめるのではないかと感じた。

「うつろ船」の話に戻ると、元々は滝沢馬琴の怪談奇談の中に出
てくるもので、Joseph Nothingさんはこれは普通に考えたら先ず
UFOだろうと云っていたが、僕も全くの同感で、以前に他にも色々
とこうした昔の各地の云い伝えの絵を観た事があるけど、結構ど
れも明らかにまさに宇宙船の類だと思われた。

その船の内部には漢字が入って来る以前の日本の古代文字らしき
ものが描かれていたと云うが、もししたらその船はタイムマシン
かもしれないと話は進みヒートアップ。好きで堪らない感じ。

そして今回のタカノ綾さんデザインの世界初!のデルタ△ジャケ
ットの先ずそのフォルムの源泉としての△UFOの話になった。

この形のUFOで有名な話は、1980年代にベルギーで確認された事
件で、それは余りに隠し様もなく露骨で目撃も多数だったので
当時の政府も情報操作出来ずに降参、公式に認める事態になった
と云う。それはUFOの形で最も広き流布、イメージされてる所謂
アダムスキー型ではなく、デルタ△型の船だったと云う。

ロズウェルに落ちたのもデルタ△型と云われていて、その型の
こそがJoseph Nothingさんも好きなUFO、信じているものだと。

綾さんがデザインしたジャケットは、ちゃんと立てる事が出来、
そのデモンストレーションも行われた。これは京都の職人さんが
作って下さったものらしく、Joseph Nothing×タカノ綾・共通の
大好きな超常現象要素が色々な処に隈なく微細に描かれているの
で、よく見てみてほしいと。また時に立てて飾るのも素敵と。
僕も机の上に飾り、何かと交信する時のデバイスにしようかと。

そして今回Joseph Nothingさんがこのシリーズに込めた大切な
メセッージとしての日本人論、ついに話はこのテーマへと至った。

ずっと感じて思っていた日本人の素晴らしさ、これを曲タイトル
にも込めてあると。それは「3」の曲タイトルの基本であるYAPと
云う言葉の事で、これは僕の様な者でさえ普通に「ヤパン」とか
「ヤパーニ」とか、日本/日本人を指す言葉を連想させるもの。

YAPの遺伝子は中東にも発見されたらしく、そこから日本人ユダヤ
人同祖論も来てるのではないかと。確かに昔からその論はあって
僕も一度自分で調べた事もあったので、とても興味深かった。

兎に角、そこでJoseph Nothingさんは日本人は本当に素晴らしく
ポテンシャルの高い人達だと云う事をメッセージに込めていた。
そしてタカノ綾さんも、高校の時に海外留学していたり、仕事を
する様になっても個展とか海外が多いので、それはよく分かるし
感じるし、二人とも海外を知っているので、それはレイシズムで
はなくて、単に実感としてそう感じているのだと思った。

そしてまた二人の共通項として他のアングルでは、単に綺麗とか
トリートメントされたものとかだけのより、汚いもの歪んだもの
もどっちもあるもの、残酷なものもヤバいものも、そういう両方
で世界は成り立っていると想うので、綺麗に作り込まれたものだ
けではなく、もっとトータルでカオスなものに魅かれると云う。

例えばシンセサイザァがフワ~っと綺麗に鳴っていたら、それを
もっと歪ませたり汚したいと想うし、世界はダークなものも含め
て見たいと云うのがあると。他の例えでは、世界の見方としての
陰謀史観とかも。それは僕も全く同じなのでまた凄く嬉しかった
し、タカノ綾さんは、ここに今日来てる人達もそれは同じ価値観
だと思うと云っていてそれも嬉しく、また心より同じく感じた。

最後に今後の活動について、Joseph Nothingさんは既にもうアル
バム二枚分程の曲は在って、曲作りもライブも、ドラマーであり
ベーシストでもある吉川弾さんとのコラボが凄く気に入っていて
とっても楽しみだと云う事。ライブは電子音楽×人力ドラムにて
より生々しく、ヴィジュアル面は(VJとかも含め)タカノ綾さんに
任せて、今年は作品とライブの二本立てで表現の幅をより広げて
行こうと想ってると。今後が本当にまた一つ非常に楽しみ。

タカノ綾さんも、自分の個展の際にJoseph Nothingさんにライブ
や流す音楽をやって貰ったり、サイトの音楽を作って貰いたい等、
今後のより一層緊密なパートナーシップの志向を云っておられた。

この後に一人だけ会場のお客さんから質問タイムを受けて、それ
はまたそういう類の超常現象もので、より話は尽きずキリがない
ので終わりますと云う、とてもお客さんとの距離感が密で非常に
楽しく興味深い充実したイベントだったと云う事を象徴していた。

こうした機会を与えて下さった渋谷アップリンク・ファクトリー
にも非常なる感謝を。「体感試聴会」と云うだけあり、とっても
いいサウンドシステム&大音量で聴けた新譜の効果は心身に素晴ら
しいエフェクトをかけ、その後の内実、トーク、そのディテール
にはまたそれを別アングルから照射し沁み込ませる力に満ち満ち、
桃源郷へと背中を押す。夢中で迷い込み、気が付いたら其処に。

それにしても本当に素敵で楽しく素晴らしい二人だと思った。
僕に常にエナジーと想像力、刺激興奮と心地良さを与えて下さる。
これからもShambhalaシリーズを視聴覚で味わい噛みしめるつもり。
そして今後の活動がまた一つひとつ更に楽しみになってきた。

シャンバラについては、ファンタジックな捉え方をしているので、
別に特にこうこうこうでなければならない、って決めの事ではな
く、聴いた人達が各々自由に感じてくれたら、と云っていたのも
印象的で、僕はまだ雪の止む気配のない帰途、色々な想像を勝手
気ままに飛ばせていた。二人の表現の翼を探検の旅の伴侶として。

キーワード:


コメント(0)


macotone

ゲストブロガー

macotone


月別アーカイブ