これは男女の往きて還りし物語だ。静謐で規則正しい日々から夫と妻がそれぞれ出てゆき、そしてゆっくりと戻ってくるお話。彼らの暮らしは穏やかだけれど、時計の刻む音やマッチを擦る音がその静けさを増幅させていて、言葉にならない言葉が部屋中に隙間なく充満して息苦しいほど。その充満した気圧から逃れるように窓を開ける瑠璃子と大音量でゲームをする聡。
登場人物たちのなかで、私には聡だけがふつうだと思った。他の人々は何かが過剰だったり欠乏していたりする。瑠璃子は言葉のうつくしさが過剰で、そして愛情を受け取る能力と自分が欲求を認識する能力が欠乏している。じゃがいもの芽で夫と心中したいと願う彼女は、シルクのように冷たくなめらかな手でそっと夫を縛りつけようとし、その一方で彼女の透明な殻を壊して侵入してきた新しい男に身を委ねる。「私はあなたの体温が欲しかったのかも」それが彼女が気づいた一番の真実。「帰らなきゃ」は、彼女自身も気づいていない自己暗示のための嘘だった。そう、人は自分の本心が最もわからないもの。けれど中谷美紀のように現実味のない女優でなければ、瑠璃子はとてもじゃないけど厭らしい女になって直視できなかっただろう。
寡作な矢崎監督の作品のなかで、この映画は実験的な要素がずいぶん少なくなった印象があるが、画面はいつもにも増して暗喩に満ちていて、語られていない言葉がミルフィーユのように幾重にも折り重なっている。そのせいか、台詞はけして多くないけれどとても文学的な映画に感じる。