映画というのはモチロン、主役がイチバン大切大切なのであるが、というか、一番大切な役を「主役」と言うんだけれど、その主役を活かすのが脇役や端役のお仕事。
旧い話で申し訳ないが、70年代にタワーリングインフェルノや大地震、大空港シリーズなどのパニック映画が流行った事があった。で、そんなパニック映画に数多く出演して際立った存在感を示していた「脇役」にジョージ・ケネディがいる。当時どんなパニック映画であれ「ジョージ・ケネディがいれば安心」と言われるほど、献身的・超人的な働きで主役を助ける「脇役」を演じていたことを思い出す。見かけはハゲっぽくてデブっぽいオッサンなのにね、なんか安心するわけですよ、観客も映画の中の登場人物も。
というわで「脇役」の話。
この「サヨナライツカ」は、中山美穂12年ぶりの映画出演とか、そんなのばっかりが注目されるので、ここではいいっす。それよりも「脇役」の二人がなんかスゲーですぞと、まあ、そう言う事を書いてみようかと思っております。
注目するのは「脇役」と言っても、準主役級、アカデミー的に言えば「助演」の二人、西島秀俊演じる東垣内豊の妻「光子」を演じる石田ひかりと、豊の上司「桜田善次郎」役の加藤雅也。
石田ひかり演じる豊の妻、光子は、貞淑というかなんというか、いわゆるカタい奥方で、普段はおとなしく夫に献身的という古典的な「妻」像を演じている。中山美穂演じる沓子とは対照的な性格の女性なのだがいやしかし、大人しく抑えた演技の中に見え隠れする意思の強さがにじみ出ており、それが映画の中盤、作中イチバンの見どころとも言える中山美穂の沓子と石田ひかりの光子の対決シーンでそれが明らかになる。
光子が旦那の豊に内緒でいきなりバンコクの沓子の部屋を訪ねて話をするのだが、その静かな迫力に押されてか「女王さま」キャラのはずだった沓子は、長い対決のシーンの中でほとんど喋らず、ただ黙って光子の話を聞き涙を流すだけの静かな女になってしまう。逆に光子は延々と、静かに優しい語り口で沓子を言葉で攻めてゆく。その自信に満ちた姿に沓子は黙って屈服する。
ここに来て、明るく態度の大きな沓子と、大人しく控えめで貞淑な光子という、映画の序盤でのお互いのキャラクターが、実は全く違うものだったことにこの場面で観客は気がつくのだ。石田ゆり子、おそるべし、であります。
そしてもう一方の目立つ脇役加藤雅也は、ただただカッコいい。見かけもセリフもカッコよすぎ。他の役者だったらイヤミになりそうな気障なポーズも、気障なセリフもしくっりハマる。25年後の老けメイクにしても、なんか主役の二人よりも気合いが入っている感じで(失礼!)、歳とっても気障なまんま。なんかムカつくほどカッコいい上司を最後まで演じきる、その役作りにこれもまた、参りました、です。
ということで、他の多くのレビューや記事で多く語られるであろう主役の二人ではなく、あえて脇役に注目してこの映画を見てみると、なかなか趣深いものがあるような気がするのだ。主役を食うなんて大人げないコトしなくても、十二分に存在感をアピールして作品を引っ張る、そんなチカラを、石田ゆり子と加藤雅也から感じた次第。プロの芝居をたっぷり堪能できました。ごちそうさまです!。
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