まさか、この「SF作品」でラストに泣くとは思いませんでした。「サロゲート」…この作品は人類の未来に対する大いなる抒情詩だと思います。
まず映像が素晴らしい。素晴らしく精緻なのだけれど、冷たくて、それは当然「サロゲートの跋扈する社会」だから。心と体を休める場所のはずのスイートホームさえも冷たい。「サロゲート」さえ用いていれば、身体的なダメージを受けない社会は、体感温度は0℃以下と感じられます。「サロゲート」の社会は一昔前のソーホーでも、今のアッパータウンでも見られる、無機質な社会に感じられます。でも、そんな無機的な社会であるからこそ、妻マリーがかろうじて生きていける理由がある(詳細はご覧になってください!)のに、夫グリアーはそれに気付かない。又、夫の生身の肉体に関する渇望も妻グリアーに伝わることはない。「サロゲート」を通じた人間同士のコンタクトは、便利ではあるものの非常に薄っぺらいものとなっているのです。
「サロゲート」の社会がユートピアであるかどうかは、立場が違えば考えが違うのでしょう。でも、心と体の苦悩を癒しあえる人間関係というものがなければ、見かけの強靭さに何の意味があるのでしょう?お互いが共有してきた時間、空間を、子ども部屋から窓を遠く見やりながら手探りで再共有し合っていくグリアーとマリーのラストシーンは、今までのSF作品の中でも群を抜いたロマンチックなシーンだったと思います。