2009-12-25

『ユキとニナ』 試写会鑑賞 このエントリーを含むはてなブックマーク 

諏訪敦彦監督と、フランスの名優イポリット・ジラルドとの共同でメガホンを取った日仏合作の映画。そしてオーディションも即興の演技だったそうですが、実際も役柄や関係、状況の設定だけが台本にある状態で、実際の映画の中のセリフはすべて即興なんだそうです。ほとんどが即興だったというのは映画鑑賞後のティーチインで知ったのですが、ユキとニナのセリフのほとんどは彼女達がかその場で自然に出してたセリフだったんだと思うとすごいです。

でもそれだからこそ、一種のドキュメンタリーのようでもあり、とても自然な会話が成り立っていたように思います。

また基本フランス語を話すユキですが、お母さんとの会話の時は、フランス語で話したり、日本語で話したりしています。ハーフの子は実際こうやって両方の言葉を交えながら会話しているんでしょうね。

映画は最初から最後までユキとユナの視線で描かれていきます。子供から見た大人。子供から見た両親の離婚。それによって感じる子供なりの感情。しかしユキはその感情を表には出さない、いや出せないユキがとても切ない。食事中、両親が些細なことで言い争ったりしていても、何事もなかったのように黙って一人食事を続けているユキ、ユキが書いた愛の妖精からの手紙を読んで号泣する母を黙って見守るユキ、狂乱した父を同じく黙って見守るユキ。

ユキの親友のニナの両親も離婚しているから、ニナはユキの気持ちがすごくよくわかる。ニナも両親が離婚したことには納得していないのだ。ニナが母に問い詰めるシーンはとてもリアルで、「納得できないよ」というその気持ちがすごくよく伝わってきました。そんな大人の事情、私はわからないよ!というその気持ちが。

ニナが母と喧嘩したことがきっかけでユキとニナはニナの父の別荘へと向かうが、隣人に見つかり森へと逃げ込みます。そして日本には絶対行きたくないユキは、ある決意をし、あえてニナとはぐれ、一人森の奥へと入っていく。

母から離婚を聞かされた時は感情を露わにはしなかった、ユキの本音。ユキの強い意志。そしてその大きな森での不思議な体験が少女の成長の手伝いをしてくれる。

見知らぬ友達、古い日本家屋、座布団遊び、カルタ取り、そしておばあちゃんの優しさ。
日本へ行くことへの不安を不思議な体験が緩和してくれる。
そして再び一人になったユキに伝わる親の愛情。
大丈夫、きっと頑張れる。ユキはそう思えたのではないでしょうか。

子供の気持ちはとても繊細で、親が考えている以上に色々なことに悩んでいたり、親が気付かないところで傷ついていたり、悲しんでいたりする一方で、親が思っている以上の強さもある。順応力もある。そしてその強さの源はきっと親の“愛”であり、”支え”なんだと思う。その愛情さえ伝わっていれば、きっとどこでも頑張れる、どこでも成長していける、それが子供なのかもしれません。そして親もまた、そんな子供と一緒に成長していくんだな、とつくづく感じました。

素敵な映画だったと思います。
ただ、多分森の奥に迷い込んだ先のシーンは賛否両論だと思います。この展開を傑作と取るか、駄作と取るか、微妙なラインなのでは。

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masako77

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