ストーリー以上に、一つひとつの場面が魅力的。監督が撮影に費やしたという6年分の歳月を味わうように、雄大な自然に身を任せるように堪能した。
鮮やかな朝焼け、乾いた大地とリャマの群れ、電気のない夜の闇―。これまで見たこともないような神秘的で多彩な風景。人々の生活も、自然と見事に調和。風に乗るフォルクローレの音色。この美しいアンデス高地の世界、ぜひ劇場のスクリーンで堪能したい。
子供達が走る場面がやたらと目に付くのは、意図したものか。
とにかく全力で走る、走る。落とした人形を探すため、父親の面影を追うため、そして少女と淡い恋の喜びを分かち合うため。その迫力と疾走感をカメラが追う。
派手な娯楽映画のように、特殊効果や大規模なアクションは一切ないが、人が走り始める、それだけで、場面は一変。一見冗長になりがちなストーリーが、走るシーンによって視覚的にも感情的にもドラマチックに展開される。
人間は、様々な感情が抑えられなくなった時、思わず走り出す。そして、いつまでもどこまでも走り続けるものなのだ。どれほど遠い距離であっても、そこに向かう気持ちさえあれば。時間を忘れてただひたすら走り回ることが楽しかった子供時代。いつの間にかデスクワークに没頭するヤワな大人になってしまったが、そんな忘れていた感覚を鮮やかに思い出させてくれた。
そして、この「走る」という動作から感じた人類共通の感覚によって、未知の世界であるウユニ塩湖やケチュアの人々が、少し身近に感じられた気がする。
いつか行く機会があったとしても、きっと現地は空気がとても薄いから、実際に走ることはできないだろうけれど。