普通に見えて、何かにつけて嫌な奴とか、
わざわざ人の気持ちを苛立たせるようにしてる?と思える言動を繰り返す人。
回りに増えてきましたよね。
いったいどういうことかと思っていたけれど
こういうことなのかも…とちょっと納得できました。
世界は善意に充ちて、あるいは善意をベースに動いていると
認識できない
そんなものを植えつけられてうまれている世代もいるのだなぁと…。
『汚い月』は
それがテーマではなく
内臓をドナー提供したその内臓や眼が元の人の記憶をもっていて
それが作動するというようなところから
自分って何?
私ってどうやって私だと確認できるの?という演劇だけれど
そのさらにベースにあるのは、
今までのおっとりとしていた人間関係の中だから成立していた
『私』が
もう存在し得なくなっているということの表現だ。
うーん。
天井棧敷の時代からずいぶん演劇は変わってきて
ここに辿りついたのだと
実感する。
それはとてもポジティブな意味でいっていて
純文学が果たすような役割を
になっている。
衝撃的に感動した。