小林監督の「大人は判ってくれない」・・・映画を観ていて思い出したのはトリュフォーよりは(少年への尋問シーンは「大人は判ってくれない」へのオマージュであろうが)、
ダルテンヌ兄弟に近い感覚。描写は飾り気を廃し、少年の行動を見つめる、あるいは少年と一緒に過ごしているようだ。
もうひとつ思い出したのは「誰も知らない」。あの作品の主人公には兄弟がいたのだが、本作の少年はひとりぼっちで、友人がひとりいるのみである。
守るべき同居家族がいない代わりに、家族がもたらすであろうふれあうあたたかみもない。
病で入院している母は、自分たちを捨てた主人公の父親への恨み言を言うのみである。
そうして、生きるために時には犯罪にも手を染めていかなければならない、ひとりで生きる少年の孤独を残酷なまでにむき出しで描いていく。
主人公に寄り添うような手持ちカメラの揺れは、「白夜」よりこの作品に合っている。
(以下ラストにも言及してます)
そうした描写の中、母親の遺体を病院から盗みだし、少年の心の拠り所とも言えるボートに載せるシーンが突出している。ボートの中で裸で母親の胸にすがる少年の姿は現実なのか、幻想なのか。そうして、底の栓を空けたボートに乗せた母を海に送り出し、彼なりに葬るシーンは美しくさえ感じる詩的なシーンだ。
そして、自分を捨てた父親と再会して抱きしめあって、とりあえずハッピーエンドかと思ったのもつかの間、ラストは1本の坂道を登っていく少年の後姿・・。
再会のあと拒絶されたのか、それとも再会自体が少年の幻想だったのか・・・。少年はどこへ行くのか。。。