音楽とは、祝祭である。
例えば、昨今では芸能人の相次ぐドラッグ問題などで、まさにその現場としての「レイヴ」や、マイナージャンルであるはずの「ゴア・トランス」などが取り上げられ、情けないことに肩身の狭い思いをしている。しかし、根源を辿れば宗教的儀式にまで至り、生きながらにして神に近づき、宇宙の真理に触れ「解脱」を目指す、民族として慣習的に執り行ってきた「祭り」というスタンスの、音や麻薬による幻惑的・神秘的な現場が存在した。
それが形を変えて今にも続いているだけなんだから認めろ、とか言うわけではない。むしろ、時代と共にその「祭り」が形を変えたならば、私たちも昔と同じやり方で原始的なトリップを後追いする必要はない。そもそも、祭り上げる対象があやふやだ。神なのか、人なのか、愛なのか、金なのか。現代を生きる我々が、精神を一つの方向へ解放するには、セカイは、信奉すべき価値は、あまりにも多様すぎる。
2001年からソロの音楽家としての活動は影を潜めていたジム・オルークの、マイペースに届けられた全一曲38分の新作は、なんてことはない、ただただ「音楽」のために祈りを捧げ、「音楽」のために全霊を絞り出した、音楽の神様への、音楽の神様による祝祭である。
今は一言に「音楽」と言っても、これまた多様だ。ジャンルは言葉によって細分化され、どんなにその作られたジャンルの隙間を縫っていても、少しでも何かに似てしまえば、その音楽はたちまちジャンルに吸収される。全く聞いたことのない音楽を奏でることはもう不可能で、音楽家はそこで無邪気に記号遊びをするか、頭を抱えて座り込むかしかない。
そして、ジム・オルークにも頭を抱える時期があったのか、どうかは知らないが、少なくともこの新作を聴いて思うのは、壮大かつ多様な音楽の歴史を全て肯定し、全てを内包して一本のタイムラインを引くという作業、つまり圧倒的な思想によって緻密に練り込まれた「記号の世界地図」を描き直すことを、彼は志したのではないか、ということ。
フォーク、ロック、クラシック、現代音楽、フリージャズ、民族音楽・・・様々な音楽を連想させる、様々な響きの塊が、ずっしりとした質量と重力を持って現れては消え、静と動をある一定のリズムで繰り返しながら、やがてそれぞれの歴史をシームレスに連結し、全体をゆるやかな帯状に紡いでゆく。
めまぐるしい展開の多様さ、エモーショナルな起伏だけを追えば、それは非常にプログレッシブ。だが、全体を俯瞰してみれば、それはミニマル・ドローンと似た、淡々と一つの時間を、延々螺旋状に繰り返しながら重なり合っていくような、なだらかな変化と推移の連続。
そうした両極端な音楽構造を、一つの曲に纏め上げるためにも、38分は必要だった。むしろこれほどの音楽の「歴史」を繋ぎ合わせて、曲として成立させることが、たった38分で成し遂げられたことに驚くべきだ。
敢えて、様々な音楽の「要素」とは言わない。この1曲の中には、コラージュのようなツギハギも最早トロトロに溶け合い、音楽としか言いようのない全てが渾然一体となっていて、それでいてなおかつ、この現実とは別の、新しい次元のタイムライン上を旅しているような感覚があるのだ。
だからこれは、構成し直された、新たな音楽の歴史なんだ。
音の粒々のマットな肌触り、アコギとピアノだけでも、ズブズブ沼に沈み込むような感覚。相変わらずの、筆舌に尽くしがたい音響ミキシングの相対・総体。
そして、その歴史の全てが絶頂へ、臨界点へ向かうことを目指したときの、爆発的な音の量感。
そこには、濃厚な空間のゆらぎの中で、自らも一度濃縮されやがて解放されるような、iPod時代に相応しい神秘的体験があった。
ジム・オルークは「音楽」を本気で愛し、全身全霊で祈りを捧げ、いっそ自ら音楽の歴史を再定義し、そして音楽の全てを自分で葬ってしまおう、という感覚まで有しているのではあるまいか。
その真摯さとひたむきさ、その思いを音に吹き込めるだけの力量とセンス、そして何より、結局はその作業も独りよがりで孤独な「歴史」であること。そんな38分の壮大な「ひとり音楽祭り」に、無条件に心打たれてしまうのだ、僕は。涙無くして聴けるものか。
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どのジャンルにも属さない、というより、全てのジャンルを包み頂点に位置する。そんな作品に、敢えて似た響きを感じる存在として、アートアンサンブル・オブ・シカゴを感じた。その無国籍感、その祝祭感。
オルークもシカゴ音響派と前は言われていたが、いったいシカゴとはどんな土壌があるのか、不思議でしょうがない、が、それより何より、こんな作品が東京で録音されたこと、こんな音楽家が東京に住んでいることに、純粋に喜びと誇らしさを覚えてしまう。
また、タイトルから勝手に連想してしまったが、Squarepusherの大傑作「Ultra Visitor」収録の、Iambic 9 Poetry。あの曲が大好きな人にも、是非、一度包まれてもらいたい。あの感覚が、さらにとてつもない事になって、38分続くと思ってほしい。
たった38分。でも僕は、まるで半日以上踊り続けたような、幸せな疲労感と充足感に満たされていた。
ちなみに、今回の試聴会企画において、他の方のレビューで出てくる「恍惚の表情で身を揺らす男」が、もし最前列に座っていたなら、それはおそらく自分です。
だって、うれしくて、うれしくて。
(ニシカワヒロシ)