久しぶりの日記です。
八月の一週目は、とても蒸し暑く、七月末に多忙だった反動もあって、結構ウダウダと過ごしていました。
二週目からは、公募に応募するための書類づくりに追われて忙しくしていました。お盆あけの三週目は、更に大変だったし。
で、先週末は二日共、三鷹下連雀(玉川上水沿いの住宅街)の沙羅舎という、個人所有のイベントスペースで行われた、第一回三鷹いのちと平和映画祭というイベントに行き、朝から晩まで映画を観て来ました。
沙羅舎
http://sarasya.mall.mitaka.ne.jp/
沙羅舎は、トイレの設備が貧弱だった以外は(男性トイレは、石鹸も切れていたし、便座も一部壊れていた…)、基本的には居心地のいい所でした。
映画祭自体は、沙羅舎から少し離れた所にある、やさい村という自然食品店の店主(50代で、米国先住民族に惹かれているそうで、若い頃からコミューン運動にも関わってきたそう。外見もその手の中高年にありがちな感じ)が中心になって主催されたものだとのこと。このやさい村には、土曜日のお昼休みに行って、少し買物をして来ました。トマトや葱等は、普段僕が利用しているリマ東北沢やF&Fよりもかなり安価でした。他方、お店の規模は、本当に、普通の個人商店程度で、品揃えは今一つでしたけど。
とは言え、お店のホームページを見ると、元々自然食品店を始めた動機を大切にしながら、手作りで無理無くやっているという感じで、この点ではとても好感は持てました。
ただ、常連として利用するにせよ、働くにせよ、こういうお店は、店主のパーソナリティーと合わないと辛いでしょうね。
僕は昨年、一昨年の初春から参加した、環境やスピリチュアリティーにアクセントを置いたグループを、その中心人物の無神経ぶりに腹を立てて(他の人は基本的にはいい人だったし、ちょっと親しくなった人もいたけれど…)、辞めたことがあるので、どうしても、一歩退いて観てしまいます。
で、映画祭に話を戻して、上映作品は以下の通りでした。
(細かく記載されたホームページが見つからなかったので、列挙しておきます)
22日(土)
『おきなわ戦の図 命どう宝』(前田憲二監督、1984年、日本)
主に沖縄で(自宅とアトリエのある東松山での様子も映されいるが)、丸木位里・俊夫妻が、沖縄戦の悲惨をテーマにした大作を制作していくプロセスを追った作品。途中、沖縄戦の筆舌を絶する状況を証言する、ひめゆり部隊のサヴァイヴァー等の話に、涙する丸木夫妻の様子も差し挟まれる。
『安らぎはいずこに?』(Sanjy Kak監督、2007年、インド)
実質的に、パレスチナ自治区のような、長期間に渡る「外国軍」の占領下にある、インドのジャンムー・カシミール州の実状が、民衆の様々な証言やインド軍将兵へのインタヴューから描き出される。上映時間が二時間超と長いため(僕も寝不足がたたり、何度か意識が「飛び」ました)、オーディエンスから不満の声も出ていたが、基本的には、ずっしりと見応えのあるドキュメンタリーだった。
『メルトダウン——氷河溶解——』(Richard Heap監督、2004年、イングランド)
地球温暖化によって、ヒマラヤの氷河が溶けて溜まった「氷河湖」の決壊が、甚大な被害をもたらしている、ネパールへと、国連から派遣された調査団が、現地の深刻な実状を確認して行く様子を追ったもの。
『シアチェン——氷河の戦闘——』(Fulivio Mariani & Mario Casella監督、2007年、スイス)
ヒマラヤ山中の氷河の領有をめぐって、対峙するインド軍とパキスタン軍の軍人や、地元民衆のインタヴューを通して、ナショナリズムの論理のバカバカしさと、それに翻弄される、一般市民の悲哀を描き出すと同時に、両軍の大規模な駐屯によって巻き起こされる環境破壊を告発する作品。
余談だが、インドとパキスタンのインド帝国からの分離独立(1947年)の際に、どれ程多くの犠牲者が出たか(後にインドとパキスタンに分かれる、パンジャーブ地域だけで、一説には50万人以上)、恥ずかしながら初めて知った。
23日(日)
『神々の履歴書』(前田憲二監督、1988年、日本)
古代における朝鮮列島から日本への文化的影響の決定的重要性を、様々な側面から重層的に証明していくドキュメンタリー。その後日本の権力者は常に、この影響を姑息にも隠蔽し、日本を実体的な「神の国」へと仕立て上げようとしてきた。
余談だが、登場する年輩の韓国人学者が、植民地統治下で日本語教育を受けてきた世代であるためであろう、殆どネイティヴと変わらない程流暢に日本語を話していたのが、印象的だった。
国交はないとは言え、当時は現在のような異常な緊張関係にはなかったはずの、北朝鮮も取材していれば、更に奥行きと資料価値の高いドキュメンタリーになっただろうに。この点だけが、ちょっと残念だった。
『私たちの未来を求めて旅するカメラ』(『ぶんぶん通信no.1)(鎌仲ひとみ監督、2009年、日本)
自然と共に身の丈に合った生活を続ける、山口県上関町祝島の人々の日常生活と、対岸の田ノ浦を埋め立てて、上関町原子力発電所の建設を強行しようとする中国電力と、それがバラまく利権に群がる人々によって侵蝕されようとしている様子が、それなりに抑制された仕方で描かれる。他方で、脱原発を国策として推進している、スウェーデンが、依然原発を国策として上からゴリ押しし続けている日本の現状との対比で、称揚されている。
http://888earth.net/index.html
『チベット難民——世代を超えた闘い——』(田中邦彦監督、2002年、日本)
1959年にインドに亡命したダライ・ラマを中心にした、チベット亡命政府のあるインド北西部のダラムサーラで、暮すインド生まれの難民「第三世代」が、チベット人としてのアイデンティティを再認し、ダライ・ラマ後のチベット解放運動を見据えた、活動を行っていく様子を、等身大の彼女等/彼等の姿の描写に力点を置いて、追ったドキュメンタリー。
空調の効きが悪く、ジト〜と汗をかいてしまったし、寝不足と座り心地の悪い椅子で、特に腰を中心に、しんどかったけれど、昼夜逆転も直ったし、井の頭公園駅から歩いて行ったので、夏の朝の井の頭公園も堪能出来たしで、それなりに有意義な二日間でした。前売り券も安かったし。
ただし、この種の市民運動系のイベントで、主張される話の内容には、いつも、共感しはするのですが、表現の仕方が、稚拙だったりストレート過ぎたりするので、何かいたたまれなくなります…。
研究者という職業上、何と言うか、感情移入しつつも多面的にものを見ること、漠然とした思いを、分節化して、問題点と改善点を洗い出し、その解決に努めることを、常に心がけているので。
話は変わりますが、先週の水曜からはずっと、レンタルで借りた『熱中時代(教師編第一シリーズ)』を観ていました。
http://www.vap.co.jp/fever/part1.html
この『熱中時代』、子どもの頃に実家で再放送を観て以来だったのですが、俳優さん達の演技も素晴らしく、脚本や演出も重すぎず軽すぎず、非常に質の高いテレビドラマでした。僕の子どもの頃の、本当に昭和っぽい(放映は78年度後半)雰囲気も、とても懐かしかったし。
他方で、教育も社会全体も、日本はあの頃から悪くなっているという認識を、新たにしました。
ちなみに、ヒロイン役は当時23歳の志保美悦子なのですが、これまた、信じられないくらい綺麗でした。…惚れました(笑)。
今週もまた忙しいです。来週は新潟で研究合宿があって、その準備もあるし、九月半ばにはちょっとした締切もあります。まあ、今日から大分涼しくなってきたし、何とかなるでしょうけれど。