NYの伝説の女性パンク・ロッカー、パティ・スミス。
名前やアルバムは知っているくらいのビギナーな私でもとても楽しめる映画だった。
これは音楽ドキュメンタリーというよりも、パンクな詩人の日常に密着したアート・フィルム。
映像と音声の情報量が多いので、上映時間109分とは思えないほどの充実感があった。
全編、パティのナレーションで綴られている。自宅での弾き語りに、亡き夫や息子に友人達との談笑、実家に里帰り、そしてライブ…貴重な撮りおろし映像が満載。歌手であり、詩人であり、芸術家であり、母親でもある彼女の日常が映されており、1人の女性の生き方が記録されていた。
彼女に惚れ込んだカメラマン、スティーヴン・セブリングが16㎜フィルムで11年間も密着した映像を元に製作。ちょうどいい距離感でパティの自然体な姿を上手く映し出していたと思う。
休業中の自宅でのありふれた日常も、見事に捉えていた。ポスターや本でびっしり囲まれた室内で、ギターを弾いて歌ったり、レコードを聴いたり、壁に絵の具を塗ってアート作品を作成したりと、ゆったりした生活ぶりを紹介。息子が幼少時に着ていた、染み付きのベビー服も大切に保管。育児の思い出を語る、マメな母親の顔も披露していた。
パティの来日映像は、ソフィア・コッポラ監督『ロスト・イン・トランスレーション』を思い出させる、アメリカ人から見つめた美しい京都が描かれていた。京都に佇んだり、新幹線のグリーン車で移動したり。他にも原宿ロケと思われるリーゼント男達のツイストに、フジ・ロック出演映像も使用。観客の盛り上がりも、モノクロ撮影だと昭和の匂いを醸し出してたのが意外だった。
大部分では、パティがアレン・ギンズバーグやアルチュール・ランボーといった詩人達の詩をポエトリー・リーディングする音源を多用して、撮りおろし編集映像と絡ませている。歌手ではなく詩人としての彼女を押し出しているのもユニークだった。
後半での朗読では、ジョージ・W・ブッシュへの怒りをこめた、演説のような“語り”が壮絶だった。不正に偽善。その憎しみに満ちた怒りに、日本語字幕を読みつつ心震わされた。
いろんな顔を持ちながらも、パンクな詩人としての活動家ぶりがすごい。影響を受けた詩人達の詩を取り込んで、自作の詩も交えて、すべて自分のメッセージとして放つ姿勢が素晴らしかった。言葉の持つ影響力の凄さを改めて痛感した。