2009-08-12

映画『住井すゑ・百歳の人間宣言』 このエントリーを含むはてなブックマーク 

この人は幼少期、排泄物に対する非常に強い嫌悪感がありました。
この人が6歳のとき、天皇も他の人間と同じように排泄物を出すことを知りました。
これを機に、生まれながらに尊い人・卑しい人が存在する社会に疑問を抱きました。

この人は小学校3年生のときに、幸徳秋水(*)の「日露戦争に反対し、金持ちと貧乏人がいない、みんな平等な世の中…」という思想に共感すると同時に、自分と同じ考えの人が世の中にいたことに非常に喜びました。

後に高徳秋水はデッチあげによる思想裁判で死刑になります。

すると、この人は「生涯を賭けてかたきを討ってやる」と子どもなりに祈りをささげたそうです。

同じく小学生のとき、歴史の授業で先生にこんな質問をしたそうです。
なぜ日本に漢字が入ってきていない時期の天皇の名前が漢字なのかと。それはおかしいと。
それ以来、日本の歴史に疑問を持つようになりました。

後にこの人は、講談社の記者になり、東京・駒込の下宿に住みました。
仕事で活躍すると同時に、職場での女性差別に直面し退社、後に、農民運動家の夫と結婚しました。

4人の子どもの母となったこの人は、生まれてきた人間はみな平等である、だから「子どもはみな平等」の信念を貫き、兄弟姉妹がお互いを呼び捨てで呼ぶよう育てました。

さらに、「これから産まれてくる(自分の)子どもは日本人だ」と思っているのはバカだと言い放ちました。この発言の背景には、国家や国境を越えた地球人としての人間の位置づけがありました。

この人は家の一部を開放して、普段は観ることの出来ないような映画を人々を集めて見せました。

この人は、日の丸、教育勅語が復活するのはそう遅くないと、だからこそ思っていることは言わなくてはいけない!と1990年代に既に主張されていました。

そして、1992年には、日本武道館を満員にしたこの人を講師に迎えた「九十歳の人間宣言」が行われました。

この人とは、作家の住井すゑさんです。
住井さんはベストセラー『橋のない川』という大河小説で部落差別を取り上げました。
住井さんが夫を亡くした後、56歳のときに書き始めた『橋のない川』は、90歳を目前に第7巻が完成されました。

そして本日私が観た映画は、『住井すゑ・百歳の人間宣言』でした。

住井さんの理想は
「人類の母性は人以上の人を生まず、人以下の人を生まず」
「時間の流れの前には誰もが平等である」
「人間はどこにいても、そこは地球の一角である」
でした。
これらの人間としての生き方を、住井さんは生涯をかけて語り続けてきました。

次女の増田れい子さん(ジャーナリスト)は、「母だって矛盾をかかえた人」だったと映画上映後のトークで発言しました。
「今皆さんがご覧になった映画は、母のいい部分しか描かれていない」と笑いながら語られました。

確かに映画では住井さんのいい部分しか描かれていません。
しかし販売されていた映画のパンフレットを読むと、住井さんが妥協をしたこともあると語れています。妥協しつつ、生き延びてきたと。それでも曲げられない信念だけは貫き通したとありました。

私はつねになぜ、日本では社会運動が米国(とりわけ私の住んでいたサンフランシスコ)のように盛り上がらないのだろうか、と思っていました。そしてその原因として、ロールモデル(お手本になるような人物)が日本の社会運動の世界には欠如しているのではないかと考えていました。

米国ではキング牧師の誕生日はホリデー(休日)ですし、学校の名前にも公民権運動(人種差別撤廃運動など)で活躍された人々の名前がつけられています。
私が住んでいたサンフランシスコにも、人目を引くような行動力と人を感動させるスピーチのできるカッコイイ活動家が沢山いました。

キング牧師ほど有名ではありませんが、カッコいい活動家たちです。私もあんなふうになりたいな、と何度思ったことでしょう。
そして、実際の生活のなかで、活動家が勝ち取ってきた「権利」や「補償」を実感する機会が多いのです。

大学の授業で様々な人種の学生が一緒に授業に出席しているのは公民権運動があったから。
第二次世界大戦中に強制収容所で過ごさなければならなかった日系人が、今日堂々と米国政府を批判できるのは、戦後の日系人に対する戦後補償問題を戦い抜いてきたから。
そして、これらの歴史が今日も色あせることなく語られ続けているのです。
このように、運動が人々の暮らしにもたらしたものを、再認識できる機会があったのです。

私が日本に帰国してよく聞かれた質問の一つが、「なぜ日本では運動が盛り上がらないのか」でした。
その要因の一つとして、私は「ロールモデルの欠如」を挙げてきました。

もちろん私が知らないだけでカッコイイロールモデルになるような人は沢山日本にいるのかもしれません。しかし、サンフランシスコのような非常に反戦運動が盛んな街で多感な20代を過ごした私には、刺激的なロールモデルに日本で出会うことはほとんどありませんでした。

時間を作っては足尾銅山へ行って田中正造の生き様に触れてみたり、女性参政権運動で活躍した平塚らいてうの生涯を描いた映画を観にいったりするうちに、日本にも素敵な人は沢山いたことに気づきました。

今日見た映画の住井すゑさんもその一人です。

日本に不足しているものは沢山ありますが、社会を変えていくために活動されてきた人々の生き様を知る機会が絶対的に足りないと思います。

もし小学校の歴史の授業で、同じ女性である平塚らいてうさんや住井すゑさんのことを教えてもらっていたら、私の生き方は変っていたかもしれません。

このように活躍されてきた人を語らない・語らせない社会が日本なのでは、と思っています。

20才の成人式に、平塚らいてうの映画を成人した人たちに観てもらえば、当たり前のように手にすることができる女性の参政権が、実は参政権運動によって勝ち取られたものだということに気づいてもらえると思います。(米国から与えられたという考えもありますが、私は日本に1900年頃から始まっていた日本発の婦人参政権運動があったからこそ、実現したと考えています。)

映画『住井すゑ・百歳の人間宣言』ではハギレのいい発言をする住井さんが何度も紹介されます。おばあちゃんと呼ばれてもおかしくない年の住井さんが天皇制について批判するときに、年を重ねた住井さんだからこそ嫌味にとられないのでは、と思うところがありました。

同じ発言を若僧がしたら、小生意気なやつめ!と猛烈な非難を受けるのではと思いました。

また東京で上映することがあれば観にいきたい映画です。
時間をつくって『橋のない川』を読みたいと思います。

(2005年02月26日の日記から転載)

*高徳秋水:足尾鉱毒事件で有名な田中正造が天皇に直訴したときの直訴状を書いたのが高徳秋水です。日露戦争に反対した社会主義者だそうです。

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奥田みのり

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