1983年、NYで起きたあまりにミステリアスな殺人事件。
「プリマヴェーラの頭像」「楊枝をくわえた兵士」
「ドイツ製の銃」「お守りの十字架」・・・
さまざまなアイテムが40年をへだてた
イタリア・トスカーナとNYをリンクし、
最後にはほとんどの伏線が見事に回収されて
「よくできたミステリー」としても楽しめるのですが・・・
スパイク・リー監督の、アフリカ系アメリカ人ならではの
視点とメッセージに、共感させられた2時間40分でした。
戦争は国と国の戦いですが、それぞれの軍はけっして一枚岩ではない。
アメリカは多民族国家だし、
黒人部隊「バッファーローソルジャーズ」を捨て石としかみない上官もいれば、
同胞と考え尊重する上官もいます。
ナチスの焦土作戦にジュネーヴ条約で反論するドイツ軍士官もいるし、
生き残った少年を逃がす、信心深いドイツ兵も。
同じイタリア人パルチザンだって、一心同体というわけではない・・・
主人公の4人の黒人兵も
冷静沈着なリーダーのスタンプス
実はプエルトリコ人でイタリア語も堪能なヘクター
自己チューで口のうまいビショップ
純真で信心深い大男トレイン・・・と
それぞれのキャラクターを際立たせています。
敵、味方、という簡単な分け方をせず、
あまりにたくさんの人物を一人ひとりていねいに描いたため
この作品はとってもフクザツで込み入っています。
また言語もヘクターとレナータが二カ国語しゃべれる以外は
それぞれがそれぞれの母語(英語・イタリア語・ドイツ語)を使うんですね。
ここにもこだわりを感じました。
たしか、「ワルキューレ」も「ディファイアンス」も、
ナチスがらみのストーリーなのに、なぜか
英語がメインでしたから・・・
だから、あまりの難しさに途中で頭がこんがらがったりもするのですが、
「全体を同じものと見てはいけない。
一人の人間として見てほしい」
という監督からのメッセージはしっかり伝わりました。
ナチスの残忍な行為をあばきながらも、この作品では
ドイツ人すべてを否定しているわけではない。
逆に、黒人に対しても、
「黒人というくくりで見ずに、ひとりひとりを見てほしい」
ともいっているのです。
上官の判断ミスで仲間からの砲撃をうけ、孤立してしまった4人は
不思議な少年アンジェロと出会い、
「眠る男」の山のふもとの村人の世話になることに。
黒人を見たことのない彼らは、4人になんの偏見ももたず、
むしろ次第に心を開いていきます。
言葉もほとんど通じず、ドイツ軍に包囲された先の見えない状況下で、
4人が感じた奇妙な解放感。
1年前「ハーブズカフェ」で店主から受けたひどい屈辱。
国のために最前線で戦っているのに軽んじられている自分たちの命・・・
彼らが守ろうとしている「母国」で差別をうけているのに、
ここではわけへだてなく接してもらっている。
突然あらわれた自分らを受け入れてくれる異国人の間で
心からの「自由」を感じるのでした。
「ひとりの人間としてみる」というのは
一人のパルチザンを見つけるために村人を「残らず排除」したり、
「ドイツ人1人の死に10人の報復」なんていう
ナチスドイツの命令の対極にあるものです。
上官の命令に従うのは逃れられないルールではありますが、
それでも、自分の命をかけてでも守りたいものはある。
せめてこの子だけは死なせたくない・・・と思うのは
どんな状況下でも、どこの国の軍服を着ていようとも、
人間ならどこかに持っている心情でしょうし、
言葉や宗教が違っても、
人を信じる心、愛する人を守りたい気もち、
祈りの心はひとつなんだと・・・
それぞれの国の言語での祈りのことばがシンクロしていく場面では
思わず鳥肌がたちました。
「奇跡」というにはあまりにたくさんの命が失われ、
むしろ「悲劇」がふさわしい気もしますが、
人が人を愛し,いつくしみ,赦す心が残っていれば
まだ希望はある・・・とわずかな光を感じられるラストでした。