冒頭、シネマスコープの画面いっぱいに広がる工場のロングショットに思わず目を奪われる。『イントゥ・ザ・ワイルド』でも存分にみせたエリック・ゴーティエによる静謐で雄弁な風景は、その後もしばしば登場し、見る者に鮮烈な印象を与える。一方、本編では、カットは周到かつ複雑に割られ、キャメラは縦横無尽に動き回り、登場人物の複雑な心象を鮮やかに描き出す。『クリーン』を見て最初に感じたのが、この風景と人物描写の織りなす美しいコントラストだ。この映画はすべて、このような〈二面性〉に貫かれている。
エミリー(マギー・チャン)は落ち目のロックスターである夫をドラッグの過剰摂取で亡くし、自分もドラッグ所持の罪で刑務所に入れられる。半年後、出所した彼女には2つの夢が芽生えていた。それは、夫の両親に育てられているひとり息子と一緒に暮らすことと、歌手として再起を果たすことだ。夫とともに享楽的な日々を送っていたときには曖昧にやり過ごしていた厳しい現実に、彼女は正面から向き合うこととなる。母親と歌手、ここでもまた〈二面性〉が物語を推進する原動力となっている。
エミリーは自分を変えようと努力を重ねるが、思うようにいかない。中華料理店でウェイトレスの職に就くが、店長の目を盗んでは一服し、注意されるとあっさり辞めてしまう。また、義理の父、アルブレヒト(ニック・ノルティ)が複雑な思いを秘めつつエミリーに救いの手を差し伸べても、裏切るような行為を働いてしまう。
愚直に、不器用に、ひたすら夢を追いかけるエミリーを、オリヴィエ・アサイヤス監督は、雄弁な風景ショットをはさみながら、驚くほど丹念に手堅く描いている。その硬質の語り口に安易な共感の入り込む余地はない。無様で滑稽な一人の女性のむき出しの姿がさらけ出されているだけである。しかし、だからこそ本作は、見る者の心を激しく揺さぶる。
後半、息子と暮らすことを願いつつ、歌手の夢も捨てきれないエミリーに対して、呆れとも怒りともつかない複雑な表情を浮かべてアルブレヒトが言う。「それでこそおまえだ」と。このセリフは単なる皮肉ではない。人は容易く変われるものではなく、そのことを自覚し受け入れるところからすべては始まる、という静かだが切実なメッセージだ。本作に通奏低音のように流れているあらゆる〈二面性〉も、すべてはこのことを示すための壮大な仕掛けと言えるのではないだろうか。
ラストを飾るのはやはりロングショットだが、ここでは風景の中にエミリーも一緒に収まっている。そこに広がるのは晴天とも曇天とも言い難い、ぼんやりとした霧の風景である。ここに至ってついに〈二面性〉の境界は消滅する。曖昧な、しかしやさしい表情を見せる空に、エミリーの夢の行方を重ねあわせることは、難しくない。