米映画「40歳の童貞男」の公開以来「童貞モノ」の企画が通りやすくなったのか或いはタイトルにつける抵抗が薄くなったのか、「童貞ペンギン」や「童貞。をプロデュース」など最近はストレートなタイトルの作品が目立ちますが、この映画は同名の自伝的小説が原作となっています。
そもそもこの手の作品はタイトルにつかなかっただけで、以前より洋邦問わず(もちろん一般/成人問わず)取り上げられてきたモチーフでありコメディ化されやすいモノではあると思います。それは通過儀礼において女性が「傷」を負うのに対し、男性の場合はあくまでも「経験」という自己完結する体験であるためにドラマになりやすいという側面のためでしょう。この場合、性欲という切実生を薄めるために「コメディ」によって「笑う」必要性が生じるだと思いますが、この映画は笑えません。いや笑う場面は多々ありますが、主人公が童貞である理由がリアルすぎる感じがしてコメディを弱めている感じもしました。主人公の男のあまりにも身勝手というか性欲/理性の二項対立のアンバランス性が見事で、女性の立場から見ればきっと誰からも相手にされないキャラクターとして上手く表現されていていました。ゆえに「喜劇は悲劇的側面を持つ」、その悲劇性の方が強く感じる作品。主人公とヒロインの結末について、その理由がわからない・ただ笑って見終わってしまうだけの人が世の中に多いとなると、いわば日陰の言葉であった「童貞」のポピュラー化と相まって、それは一種のホラーのようにも感じました。