トリコロール、デカローグ、二人のベロニカで著名なキェシロフスキの軌跡を辿る映像「スティルアライブ」を見に行った。
6、7月に特集上映が組まれその中にこの作品も公開されるようである。キェシロフスキをまだ見たことない方や興味をお持ちの方がいれば一見の価値がある特集上映になるであろう作品群が揃っている。その中で監督と作風に迫るドキュメンタリー「スティル・アライブ」。
この作品は監督の原点でもある「なによりも人間の真実を撮りたい」というキェシロフスキの監督としての歩みや始まり、そしてやがてはある意味ドキュメンタリーに潜むリアリズム定義がある意味キェシロフスキを裏切り映像作家としての「人間の感情」や「様々な愛のかたち」を生涯撮り続けていくヒントが隠されている作品なのかもしれない。
そこには、初期作品「初恋」等における真実を撮ったにも関わらず。そこに描かれていた事象や真実がドキュメンタリーなのに消えてはいないか。真実はどこにあるのか?
キェシロフスキは迷走しつつ、ドキュメンタリーをよくあるように解体や再構築やドラマ仕立てに作意的作ろうとしたり。当時のポーランドの国情において試行錯誤や発展を自己の中や作品において展開させていく。
ドキュメンタリーからドラマへの移行である20数本の作品における監督本人、スタッフ、友人等への証言。作る映像やストーリーが変わろうが「人間の内面にある現実をとらえている」作風は生涯を通し彼のメインテーマということは謂わずもがなであると思う。
やがてそれらの「より人間の真実性や愛のかたち」をポーランドという国情の中で、女性たちで描き続けた代表作でもある「二人のベロニカ」、「トリコロール」、死と愛の「デカローグ」という光り輝く愛のかたちを代表的な作品群中に描いていく。
ヴェム・ヴェンダース曰く「彼は目に見えないものを写す人だ」と言わしめたほどである。
そしてあのカトリーヌ・ドルーヴをも魅了しキェシロフスキに手紙出し、映画出演を懇願したほどだったということは彼の作品を見れば分かる事なのかもしれない。
今回そのキェシロフスキがドキュメンタリーからドラマへと変遷していく貴重な日本未公開作品も公開される。これらはどれも個人、社会、政治的背景を見ても面白い作品であると同時にキェシロフスキ自身に鏡面的な「真実とは何か?」、「映像による人間の描き方」、「感情や愛という様々なかたちの模索」を作品から見てとれることだと思う。
そしてこの監督の人生を綴った「スティル・アライブ」である。ここにはキェシロフスキの伝えたかった映像を介した真実、愛、感情もあるが。キェシロフスキの言葉にもあるように文章や映像で表せず、カメラでも修正できない。あるがままを伝える(人間像そのものを)等身大、真実のキェシロフスキ本人やキェシロフスキ作品をより鮮明に伝え映像世界をよりきらびやかにするキェシロフスキのドキュメンタリーとして伝わる作品だと思います。