今日(24日)は夕方から行きつけの下高井戸シネマへ。今夜(24日夜)のプログラムは、ここ二、三年いつも参加している、優れたドキュメンタリー映画を観る会・公開前夜祭。
http://www.shimotakaidocinema.com/shimotakaido_cinema/documentaly.html
前売りのみの会員1500円、一般1700円で、三十分のプロ音楽家デュオの演奏、ドキュメンタリー映画の上映、上映作品の監督等スタッフによるトークショーと、盛りだくさんでお得な企画。
今回のミニ・ライヴは、久万正子さんのソウルフルなヴォーカルと津村和彦さんのギターによるジャズ風のもの。最近ライヴに行く金もないので、久しぶりの生音。いつも通り、一番前の席で目を瞑って、少し癖のある久万さんのヴォーカルに静かに耳を傾けていた。
久万さんのホームページ。津村さんのものはないみたい。写真は久万さんのブログから。中央の女性が久万さん、向かって左の髪の長い男性が津村さん。
http://music.geocities.jp/kuma_sleepyblue/
主催者挨拶の後、劇場初公開という、『多摩ニュータウンーーわたしの街ーー』(監督・脚本:森康行、プロデューサー・撮影:南文憲、多摩ニュータウン映画制作委員会、2008年)の上映。
http://www.tama-newtown-film.com/index.php
入居が始まってから昨年で37年になり、住民の高齢化が進み、一部のマスコミからは「ニュータウンならぬオールドタウンだ」などとも揶揄されている、東京都下・多摩市の多摩ニュータウンの現実を、自身も同地に37年間住み続けている南さんと、茨城の取手ニュータウン(?)に住んでいるという、森監督が丁寧に描いたドキュメンタリー。
ニュータウンの開発によって生活を根本的に破壊された、多くの地元農家への哀悼の念や、老々介護の苦労などにも触れながらも、基本的には明るく、六十代から八十五歳までの地域住民が、封建的で過干渉ではない、適度な距離感をもった、すなわち、ちょっと小難しい表現を使って言い換えれば、ポスト伝統的な共同体づくりのために、主体的・積極的に努力する様子が描き出される。
本作を観ると、暗い印象を抱かれがちな、高齢化社会において、実は一昔前であれば、「老人」と呼ばれていた、元気な中高年(六十代〜)の努力もあって、貧困や格差で或る種殺伐としてしまっている競争社会に生きる「現役世代」から観たら、本当に羨ましくなるような、適度に暖かな、支え合いが行われていることが、よく分かる。
ただし、37歳( 多摩ニュータウンと同じ。笑。今年38歳)の僕には、登場人物が殆ど年輩者ばかりだということもあって、ちょっとついていけない面もあった。敢えてストレートな言い方をすると、センスが年寄り臭いと言うか…。資金集めのために開かれたコンサートは倍賞千恵子のだし(おまけに、ホールを埋め尽くした満員の観客は、殆ど全て六十代以上)、独居老人の集いの場としてつくられたカフェの名前は、何と「福祉亭」(何でやねん)…。
上映終了後休憩を挟んでから、監督・脚本の森さんとプロデューサー・撮影の南さんのトークショー。お二人とも緊張されていたようで、特に南さんはマイクを持つ手がずっと震えていて、気の毒な程。
南さんによれば、地元多摩市では、実際には新住民も増え、子どももたくさんいるにも拘らず、作中に殆ど若い世代が登場しないことが問題視され、今度はニュータウンの若い住民にスポットを当てたドキュメンタリーを作って欲しいと急かされているとのこと。
確かに、この作品だけを観ると、「多摩ニュータウンはやっぱりオールドタウンだ。ただし明るいオールドタウンだが」ということになってしまうものねえ…(苦笑)。
22時過ぎにプログラムは全て終了。帰りは小雨も降り出して、更に冷え込み、ネルシャツの上にセーターを着ても寒い程でした。
ちょっと気になったのは、 観客が殆ど五十代以上のようだったこと。 上映作の関係もあったのだろうし、また、チケットを主に、中高年主体の優れたドキュメンタリー映画を観る会のメンバーが、人づてに捌いているからかもしれないが、いつもはもっと若い人もいたような気がする。