「病」に惹かれたドキュメンタリスト故・佐藤真監督とは違い、想田監督は精神科に通う患者たちやその病に、フェティッシュな愛着は抱いていないようだ。それが映画のまともさとなって顕れ、最初は少し物足りなくも思ったりする。しかしそのニュートラルさが、医師やヘルパーからではなく、当の患者の口からの、「人の傷口に包帯を巻くことは、自分に包帯を巻くことでもある」、「偏見は、健常者から障害者に対してだけ存在するのではなく、当の障害者が自分に対しても抱いたりする」などという、至言をも拾っているのだということに気付く。
映画を観ている最中は、私は泣かなかった。ただただ、自分の赤ちゃんを殺してしまった女性や、自分の子供を養うために体を売った女性の告白を聞いていた。目を見開いて彼女らや彼らの顔を見ていた。映画を観終わって、帰途の電車の中で、もうこの世を去ってしまった人や、まだ病と闘っている人が、この世界の何処かにいるんだなと思って、じんわりと涙が滲んできた。それは決して彼らに対する安っぽい憐憫ではなく、「世界」を実感した重みによる涙だったと思う。この映画を観たことは、「彼ら」と私とを隔てている、何かをも溶解させるような経験だったのだ。偉大な監督による、只の、「観察映画」。ただし、バイアスや偏見なし。