現在開催中の三代目彫よし《刺青》原画展/第壱部「幻武者図」についてのレビューをお届けします。
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まるで活劇を見ているようだ。
白い壁に囲まれた、狭いとも広いともいえない空間の中に並ぶ多くの目。それらのほとんどは龍や大蛇、あるいは異形の者たちと真っ向から対峙し、決して虚空を見ることはない。彼らはまるで手合いの両眼に映っているだろう己を見据えているかのように睨み、構え、そして――、跳躍する。
第壱部「幻影武者」に展示された三代目彫よし氏の作品は、歌川国芳の錦絵の白眉「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」をはじめ、超長編の伝奇『白縫譚』や葛飾北斎の描いた激烈な草双紙の挿絵など、江戸最末期、あの退廃的気風の中で生まれた浮世絵の傑作からイメージを抜粋した上で、新たに《刺青》の下絵としてよりダイナミックに、躍動感あふれる画面に昇華させることに成功している。これらの絵が改めて人に背に彫られるとき、彼(または彼女)らは再度魂を吹き込まれ、誕生し、生きていくであろうことは明白で、そういった意味においてはここに映された者たちは未だ生まれたばかりの無垢な姿であるといえよう。と同時にそれは、誰かに享受される前の純粋な、最後の姿でもある。
描かれている主題には曖昧さは一切ない。それは明らかに「鬼若丸」であり、また「源頼光」であり「滝夜叉姫」であり、日本古来の稗史、乃至はストーリーを所持した人物たちだ。彼らは我々が生まれるずっと以前から、巨大な鯉と対峙し、毒蜘蛛と戦い続けてきた。この展示空間に立った時 我々が否応無しに‘そちら側’へと取り込まれるのは、その伝統と無意識の内に呼応しているからであり、要するにここに示されたもの―幻影―が決して昔話などではない、現在もどこかで続く死闘であることを確認されるのだろう。伝統的主題の踏襲が見る側に与える挑戦、今回の展示で作者が具現化する「幻影」もまた、そのストーリー自体の認知なくは理解できるものではないのかもしれない。しかし少なくとも、我々にはその土壌がある、ということをもっと知るべきなのではないだろうか。
芝居の見せ場は一瞬である。もちろん演目との出会いも、多くは偶然の所産だ。つまり今回、我々がこの活劇「幻影武者」の最初の目撃者になり得たことは、実に ラッキィ なことなのだ。次はいつ来るかわからない。
その千秋楽も、もうすぐそこである。
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展示期間は今週火曜日(31日)までです。
その後4月2日からは第弐部「幽霊・生首」展が始まります。